昭和年間に東海道新幹線を46回ご乗車
昭和天皇は、東海道新幹線が開業した翌年から1986(昭和61)年までの16年間に、東海道新幹線に44回(片道)、東海道・山陽新幹線を通しで2回、東北新幹線を2回の計48回ご乗車になった。その距離は、およそ2万kmと地球を半周したに等しく、そのうちの東海道新幹線への乗車距離は全体の98.5%にもなる。
1982(昭和57)年の秋以降は、香淳皇后はご体調を考慮し、地方での公務を欠席されるようになった。同年6月に開業した東北新幹線には、その翌月となる7月14日に昭和天皇とともに香淳皇后は、那須御用邸へと向かわれる際に乗車された。当時、東北新幹線は大宮駅が始発駅であったため、原宿駅から大宮駅までお召電車を乗り継ぎ東北新幹線を利用されたもので、昭和天皇はこの時も走行中の運転台から前面展望を楽しまれた。
昭和天皇が最後に新幹線を利用したのは東海道新幹線で、当時は最新型とされた2階建て新幹線100系電車だった。大阪府で行われた第37回全国植樹祭に出席されるため、東京駅と新大阪駅間を新型の100系新幹線電車で移動された。編成は16両から12両に短縮して、中間に2階建て車両2両を連結した編成だった。2階建ての車両は、1両が食堂車(2階が食堂で1階は厨房)、もう1両がグリーン車(2階は通常のグリーン席で、1階がグリーン個室)となっていた。昭和天皇は2階席にお座りになり、車中では食堂車と1階にあるグリーン個室をご覧になられた。
テーブルをセットした御座席
昭和天皇と香淳皇后が新幹線をご利用になる際には、グリーン車の一部座席を取り外してテーブルをセットして、御座所(=お席)とした。こうした取り組みは、はじめての乗車時には行われていなかったが、その復路(お帰りの際)から用意されるようになった。以来、昭和期の東海道新幹線では、当時の新型100系電車にもこのスタイルが踏襲された。
テーブルを必要とした理由には、在来線で使用する「御料車」や「貴賓車」と呼ばれる両陛下の専用車両にはテーブルが備えられており、同様の措置がとられたといわれる。昭和天皇は、新幹線お召列車の中でも昼食(駅弁)を召し上がることや、沿線案内図(鳥観図)を見ながら移り行く車窓を楽しまれたという。
時代が平成になると、当時の天皇陛下(現・上皇陛下)の「特別扱いは好まれない」とするお考えにより、新幹線のご利用時にお座席にテーブルをセットすることは見送られ、一般と同じ座席配置で利用された。使用する車両も、スピードアップとともに0系→100系→300系→700系と進化を遂げた。平成の時代には、新幹線お召列車として延べ250回(片道)の利用があり、うち東海道新幹線は85回だった。線区別では、東海道84回、東海道・山陽1回、東北100回、山形2回、秋田1回、北陸(長野まで)34回、北陸(長野以西)4回、上越21回、九州2回、九州・山陽1回であった。
上皇、上皇后両陛下は、ある時期から新幹線お召列車の車中でご昼食として「駅弁」を召し上がることを楽しみにされていた。事前に駅弁メニューからお好きなものを選ばれ、侍従を通じて注文されたものが新幹線お召列車で用意された。なかでも上皇陛下は、東京駅の有名駅弁を好まれたという。