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昭和天皇と香淳皇后は、1950(昭和25)年10月27日から2泊3日の日程で名古屋市を訪問された。「第五回国民体育大会」の開会式に出席するためだった。この訪問では、同じ旅館に2泊しており、召し上がった献立が残されている。では、そのお食事とはどのようなものだったのか、拝見することにしよう。

※トップ画像は、お召列車に乗車中の昭和天皇と香淳皇后=写真/星山一男コレクション(筆者譲受所蔵)

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お召列車で名古屋へ

1950(昭和25)年10月27日、東京駅を10時30分に出発したお召列車は、途中、熱海駅と浜松駅だけ停車し、名古屋駅には16時5分に到着した。この日の昼食は、熱海駅~沼津駅間の車中で、宮内庁大膳職が調理した軽食を召し上がった。メニューは残されていないが、おそらくサンドイッチ、サラダ、フルーツといったメニューだったのではないだろうか。

夕食は、その日の宿泊所である「八勝館(はっしょうかん)」でとられた。名古屋市昭和区の老舗料亭旅館だ。献立は、以下のとおり(原文ママ)。

御汁(合わせ味噌、志めじ茸、粉山椒)、柚子釜穂詰(車海老、柿、胡瓜、うど、たたき仕立て)、御取肴(奉書かっすみ、大徳寺味噌、のし梅、赤かぶら、小鯛妻折)、御鉢肴(けんちん薫、洗いねぎ、輪切柚子、天汁)、御煮物(仐松茸(かさまつたけ)、粟麩、鶉団子、きぬさや、木の芽)、御替り物(うなぎ、唐まぶし)、御香の物(牛蒡味噌漬、瓜漬、紅生姜)、御飯。

さらに「御主食外」として、きしめん、御水菓子、牛乳、コーヒー、湯冷し水と、控えの料理として、御蒸物(柿穂詰、生姜味噌)、御小鉢物(おしたし、東京三つ葉、短冊松茸、花鰹)が用意された(原文ママ)。

これだけの品数があると食べきれるの!? と思われる方もいると思うが、事前に、同行する宮内庁長官らがチェックしており、また、宮中のプロトコル(作法手順)では、“小皿に少しづつ盛り付けて提供する”のが慣例とされ、出されたものは残さず召し上がることへの配慮ともいわれる。また、“お替わり”をすることは、おいしいという意味を込めた“提供する側への礼節”とされる。

当時のお召列車は、蒸気機関車がけん引していた=写真/星山一男コレクション(筆者譲受所蔵)
1950(昭和25)年10月28日の夕食献立(一部)=資料/宮内公文書館蔵

滞在2日目は、何を召し上がったのか

昭和天皇と香淳皇后が滞在した「八勝館」は、今も名古屋市昭和区で「料亭」として営業しており、使われた部屋は「御幸(みゆき)の間」として現在も客間として使用されている。

2日目(10月28日)の朝食は次のとおり(原文ママ)。

オートミール(牛乳、砂糖)、トーストパン短冊造り(バター)、フライドエッグス、ほうれん草バタ煎め(トマト、胡瓜)、御水菓子(二十世紀コールマン)、牛乳、コーヒー、湯冷し水。

両陛下はこの日、国民体育大会開会式へ出席され、その後は関係者と昼食をともにされた。その献立は、御幕の内御膳(弁当)で、御焼肴(鰆・夕あん焼)、御甘煮(松茸、鶏肉、粟麩、えんどう、うど)、御口取(玉子焼、車海老、くわゐ煎餅)、御香の物(瓜漬)、御水物(みかん、柿、林檎)、牛乳、コーヒー、湯冷し水であった(原文ママ)。

午後からは、ラグビーなどの競技をご覧になられたあと、電機メーカーと新聞社を視察され、次いでバスケットボール競技をご覧になり、八勝館へとお戻りになられた。

夕食の献立は、次のとおり(原文ママ)。

御汁〔土瓶蒸し(鶏肉、鱧、さき松茸、紋り柚子)〕、御焼物〔炮烙焼(鯛の目、車海老、鱧切身、松茸、百合根、銀杏)〕、二杯酢、御煮物(生湯葉、伊勢海老、菜の花造り、ほうれん草、降り柚子)、御皿物(〔天ぷら(車海老、きす)〕、菜の花、大根おろし、天汁)、御蒸し物(蕪むし、甘鯛角切、銀あんかけ、わさび)、御香の物(沢庵角和え、らっきょう)、御飯であった。さらに御主食外(原文ママ)として、茶そば、もみ海苔、洗いねぎ、そば汁、御水物(柿、林檎)、牛乳、コーヒー、湯冷し水と、控えの料理として、御替り物(松茸、おこわ蒸し、火取鱧)、御皿物(粟麩唐揚、生姜味噌、小茄子)であった。

1950(昭和25)年10月27日の夕食献立(一部)=資料/宮内公文書館蔵
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工藤直通
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