今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第97回目に取り上げるのは1999年に登場した日産セドリック/グロリア(Y34型)だ。この記事が初公開されるのは2026年6月28日。Y34型セドリック/グロリアのデビューは27年前の1999年6月28日だ。
セドリックは日産、グロリアはプリンス
今回紹介する日産セドリック/グロリアだが、セドリックは日産が1960年に初代を登場させた。一方グロリアは日産ではなくプリンスのクルマで1959年に初代が登場している。1966年に日産とプリンスが合併。2代目グロリア合併後は日産プリンスグロリアとして販売された。合併時には3代目グロリアの開発が進んでいたこともあり、セドリックとの一部パーツの共有は推進されたが、2代目セドリックとは別のクルマとして登場(1967年)。
その間セドリックは2代目モデルを販売していて、両モデルが完全な姉妹車となったのは1971年、3代目セドリックと4代目グロリアからとなる。姉妹車ながらセドリックよりグロリアのほうがモデル数が多いため、ここでは、10代目セドリック/11代目グロリアを型式でY34セドリック/グロリアと呼ぶことにする。
ゴーン体制で初の新型車
Y34セドリック/グロリアを紹介するにあたり触れておかなければいけないのが日産の経営危機だ。現在の日産は苦境にあるが、1999年頃に日産は2兆円を超える有利子負債を抱え倒産寸前とも言われた。詳細は割愛するが、ここで手を差し伸べたのがフランスのルノー。ルノーは元フランスの国営企業だったこともあり、巨大企業の日産が倒産した場合の余波の大きさを鑑みて日本政府がフランス政府に救済を持ちかけたという話も出ていた。
ルノーと日産の提携が正式に発表されたのは1999年3月、そしてルノーから日産に送り込まれたのがカルロス・ゴーン氏だった。Y34型セドリック/グロリアがデビューしたのは、ルノーと日産の提携が発表されて約3か月後で、ゴーン氏が日産入社後に発表された初の新型車だった。
チャレンジングな高級サルーン
新型車の開発には一般的には4~5年かかる。現在はもう少し短縮されているが、スポーツカーなどは6~7年かかる場合もある。すなわち、Y34型セドリック/グロリアの開発は旧体制下でゴーン氏が日産に来た時点ではあとは発売するだけの状態。開発中は日産が苦境に立たされていたにもかかわらず、非常にチャレンジングな高級サルーンとして登場したのには驚かされた。これはセドリック/グロリアの復権が日産にとって必要であると経営陣が認識していたことの証だ。























