1964(昭和39)年10月1日、世界初の超高速鉄道として開業した東海道新幹線。夢の超特急ひかり号は、東京駅と新大阪駅を4時間で結び、在来線を走ったお召列車が7時間を要したことに比すれば、大躍進であった。現在は、さらに時間が短縮され2時間30分で結ぶ。こうした時短は、人々の時間軸に大きな影響を与え、昭和天皇をはじめとする皇室の方々の移動スケジュールにも“ゆとり”をもたらした。2025(令和7)年10月1日で開業から61周年を迎えた東海道新幹線。そのレールの上を走った「新幹線お召列車の60年」の軌跡を振り返ってみたい。
※トップ画像は、東海道新幹線お召列車で京都駅に到着された天皇、皇后両陛下=2025年10月4日、京都市下京区
はじめての新幹線ご利用は常陸宮さま
歴代の天皇が鉄道を利用する際は、天皇の専用列車である「お召列車」に乗車されるのが、日本の鉄道開業(1872/明治5年)以来の慣わしとなっていた。1963(昭和38)年9月のこと、昭和天皇と香淳皇后は第4皇女・池田厚子さんをお見舞いのため、私的に岡山県を訪れた。このとき、歴代の天皇としてはじめて、通常の特急列車「みどり(大阪駅→岡山駅間)」に乗車された。一般向けの特急列車に天皇が乗車したのは、このときがはじめてのことだった。
その翌年の10月には東海道新幹線が開業し、鉄道の新時代が幕を開けた。皇室の方で“新幹線一番乗り”を果たしたのは、上皇陛下の弟宮である常陸宮さまだった。同年9月30日に津軽華子さんと御結婚された常陸宮正仁親王殿下(当時は義宮さま)は、その奉告のためご夫妻で伊勢の神宮などを訪れ、10月6日の東京駅10時発の「ひかり9号」に乗車された。これに次いで、東海道新幹線をご利用になられた方は、当時の皇太子さま(現・上皇陛下)で、1965(昭和40)年2月のことだった。
昭和天皇が東海道新幹線をご利用になられたのは、それから7か月後となる1965(昭和40)年5月7日のことで、鳥取県で行われた第16回全国植樹祭へ出席されるためだった。お召列車として仕立てられた新幹線には、両陛下が乗車する専用車両「御料車」が用意されていなかった。当時は、皇室の頻繁な利用が見込めないこともあり、特別な車両を準備するまでもないと、通常の編成に組み込まれた一等車(のちのグリーン車)に乗車された。
東京駅を9時30分に発車した新幹線お召列車は、浜名湖付近で約15分間、昭和天皇と香淳皇后は運転台を見学された。予定時間をオーバーしてまで、”前面展望”を楽しまれたという。昭和天皇は、この乗車時の感想として、つぎの御製〔ぎょせい〕(=和歌)を詠まれている。「四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし」。「避け得ずに運転台にあたりたる雀のあとのまどにのこれり」。
日章旗の代わりはVライン
東海道新幹線の開業時は、1編成の車両数(連結両数)は12両だった。最初に走った新幹線お召列車の編成両数は、皇室(宮内庁)が利用する車両は少ないという理由から、4両を欠車して8両編成に短縮して運転した。昭和天皇と香淳皇后は、前から3両目の1等車に乗車した。
2回目のお召列車となる1966(昭和41)年の時は、編成を短くする手間を省きたいとする国鉄(当時)側の申し出により、他の新幹線と同じ12両編成で運転を行った。ところが、これでは一般の新幹線と見分けがつかない、という警備側から注文がつき、車両前面のスカート部分に「V」の形をした白いシール(Vライン)を貼り付け、識別するようになった。お召列車といえば、車両の前頭部に日章旗や菊華御紋章を掲げるのが慣わしであったが、高速で走る新幹線となるとそうはいかなかった。
その後も、乗車しない「空っぽ」の車両がもったいないという理由で、一般向けに開放することになり、お召列車も「ひかり号」を名乗って特急券を販売した。しかし、事前に時間が公表されないこともあり、利用者は飛び込みの乗客ぐらいしかいなかった。1970(昭和45)年の大阪万博の際には、輸送量の増加に合わせて編成両数も16両になると、さらに空いている車両を団体旅客向けに開放するように画策した。しかしこれも、思うように席が埋まらなかったという。
利用客の増加とともに、次第に運転本数が増加するなか、「お召列車と一般列車の区別がしずらい」という警備上の理由によって、1972(昭和47)年から識別マークを「Vライン」から、ライトまわりを青色の線で装飾する「アイライン」に改められた。1975(昭和50)年には、お召列車の編成両数は8両へと戻され、以後のお召列車は1984(昭和59)年までこのスタイルが踏襲された。
1986(昭和61)年になると、0系新幹線の後継車種となる2階建て車両を連結した100系新幹線によるお召列車の運行が開始された。編成はそれまでの8両から、2階建て車両を含めた12両となった。残念なことに、お召列車の証でもあった車体前面のアイライン(識別表示)は廃止された。