川口能活氏とZ32
Z32といえば筆者が忘れられないのがサッカー元日本代表キーパーの川口能活氏。川口氏は愛車としてZ32に乗っていて、1998年にベストカー誌面で川口選手の愛車のZ32をベストカーで誌上オークションを展開。筆者はその規格を担当させてもらった。
Z32を愛してやまない川口選手は当時横浜Fマリノスに在籍していて、マリノスの獅子ヶ谷練習場にお邪魔して愛車との写真を撮らせていただいたり、Zとの思い出話を聞いたりととても楽しい企画だった。応募者が殺到したことなどによりなかなか落札者が決まらず川口氏にはご迷惑おかけしてしまったのが、編集者人生のいい思い出のひとつだ。
中古車は比較的買いやすい
1990年代のジャパニーズスポーツカーが中古マーケットで高騰を続けていたが、少し陰りが見えてきた感がある。と言ってもまだまだ高いが。Z32の中古車はどうなのか?
結論から言えば、同じ時代のR32型GT-R、RX-7(FD3S)などに比べると手に入れやすいモデルが多い。中古車のタマ数も常時100台程度は出回っていて、中古車価格のボリュームゾーンは400万~500万円といったところ。30年以上も前のモデルが当時の新車価格並みかそれ以上というのは驚異的だが、ほかのモデルに比べると比較的相場の上がり具合は緩やかで、もう少し待てばさらに買いやすくなると言われている。
最も流通しているのは、ツインターボ、4AT、2by2の標準ルーフだ。最も新しいモデルでも2000年式、つまり25年前のモデルなので、所有するなら購入後の故障による修理費がかかるなどの覚悟が必要になってくる。
しかし、今見ても古臭くはなく逆に新鮮。手に入れた時の満足度は高いはずだ。
20世紀を代表する名車の一台
Z32は1989年にデビューして2000年まで販売されたロングセラーモデルだが、その背景は少々複雑だ。それはバブル崩壊、クロカンブーム、ミニバンブームなどいろいろブームがあったなか、よくスポーツカーが生き永らえたと思うかもしれないが、GT-Rのように進化することなく、一時期は放置状態にあった。北米マーケットのおこぼれを日本で販売していたと揶揄されても仕方ない。
1998年に初めてエクステリアに手を入れるマイナーチェンジを受けたが、それほど大きな効果はなかった。そのほかの日本のスポーツモデル同様に排ガス規制に適合できない(させない)のを理由に生産終了となってしまった。
GT-Rの存在によりZ32の走りの評価が下がるなどの影響はあったが、存在感という点では絶大なものがあった。20世紀を彩った日本の名車の一台だ。
【4代目日産フェアレディZ 300ZX2シーターツインターボ主要諸元】
全長:4310mm
全幅:1790mm
全高:1250mm
ホイールベース:2450mm
車両重量:1520kg
エンジン:2960cc、V6DOHCツインターボ
最高出力:280ps/6400rpm
最大トルク:39.6kgm/3600rpm
価格:410万円
【豆知識】
前澤義雄氏はプリンス自動車に入社しプリンスロイヤルの内装デザインにもタッチしていたデザイナー。プリンスが日産と合併した後はショーモデルのAD-1(1975年)、ミッド4II(1987年)、市販車ではマキシマ(1988年)、Z32フェアレディZ(1989年)、4代目パルサー(1990年)、初代プリメーラ(1991年)などの代表作がある。ベストカーで清水草一氏との『デザイン水掛け論』でも人気だった。2014年逝去。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、LAMBORGHINI、ベストカー