線路用地は永久無償使用
1915(大正4)年6月に、宮内省(当時)より明治神宮の創建予定地となった旧南豊島御料地が下げ渡され、造営に向けた準備が始まった。そのなかで、木材、石材、鉄材などの重量物を含む造営材の運搬については、山手線原宿駅から引き込み線を敷設して、輸送することになった。当時の山手線原宿駅には、島式ホームを挟み込むように左右に側線が敷設され、造営地側(明治神宮側)には荷下ろしホームも設けられていた。引き込み線は、明治神宮の造営予定地の中まで敷設され、旧・原宿駅の代々木駅寄りから分岐し、現在の境内北側にある参拝者駐車場(P1)のあたりにヤード(留置線)が設けられていたとされる。境内の中に、どれだけの枝線が敷設されていたのだろうか。
引き込み線の建設は、鉄道院(のちの国鉄→現JR)が行い、その費用は造営側(内務省神社局)の負担として行われた。鉄道院と造営側とで交わした条件の中には、将来の山手線々増用地(複々線用地、現在の山手線が走る線路用地)として、旧御料地と神宮境内の「永久無償使用」が含まれていた。引き込み線は、1916(大正5)年1月から使用を開始した。残念ながら、原宿駅構内や引き込み線を具体的に記した絵図は、造営誌などには見ることができなかった。
造営工事は順調に進み、1920(大正9)年11月に明治神宮が完成し、鎮座祭が行われると、引き込み線や側線は撤去された。その後、山手線は1922(大正11)年に渋谷駅~原宿間が複々線化され、1924(大正13)年には原宿駅~新大久保駅間が複々線化されるとともに、原宿駅の駅舎も現在地へと移転した。その翌年の1925(大正14)年には、今年(2025/令和7年)で創建100年を迎えた「原宿駅宮廷ホーム」(正式名は原宿駅側部乗降場)が完成した。
原宿駅は、明治神宮の造営とともに変遷を遂げたと言っても過言ではないだろう。先の大戦における空襲(東京大空襲)では、明治神宮の社殿や宮廷ホームは被災したが、原宿駅のイギリス風木造駅舎は空襲被害を受けなかった。これも明治神宮に見守られた駅というか、何かの縁なのだろうか。

文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。















