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「12月28日」。今日は何の日でしょう?答えは「大日本相撲協会設立の日」!1925(大正14)年12月28日、「大日本相撲協会」の設立が許可されました。2025(令和7)年で大日本相撲協会設立から100周年を迎えます。

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設立から100周年。2025年は記念事業で盛り上がる!

相撲は五穀豊穣を祈る神事を起源としており、720(養老4)年に完成したとされる日本最古の勅撰国史『日本書紀』にも記述があります。現代では日本の“国技”として親しまれています。長い歴史を有する相撲の伝統と秩序を維持し、継承とさらなる発展をさせることを目的として、大日本相撲協会は設立されました。

明治時代初期に相撲を執り行っていたのは、元力士たちによって運営される「会所」と呼ばれる組織で、東京と大阪でそれぞれ活動していました。

しかし、文明開化による急激な西洋化で相撲の人気が低迷、財政難などの問題も起こったことから、東西でそれぞれ協会が発足し、1925(大正14)年に財団法人の認可を受け、大日本相撲協会が設立されました。1927(昭和2)年には、東西の協会が合併しました。

大日本相撲協会は、その後1958(昭和33)年に「日本相撲協会」に改称し、2014(平成26)年に公益財団法人に移行、現在に至っています。

大相撲が行われる両国国技館(photoAC)

2025(令和7)年12月28日に協会設立100周年を迎えました。10月7日には、100周年を記念して、「日本相撲協会財団法人設立100周年記念 百周年場所~古式大相撲と現代大相撲~」が行われました。平安時代の宮中で行われていた年中行事「相撲節会(すまいのせちえ)」に沿った「古式大相撲」を30年ぶりに復活させ、普段の大相撲とは異なる貴重なプログラムが組まれました。

12月23日には、東京・両国国技館で「日本相撲協会財団法人設立100周年記念式典祝賀会」が開かれ、日本相撲協会の八角理事長や松本洋平文部科学大臣らをはじめとした約800人が集まりました。

横綱として、豊昇龍とともに鏡開きを行った大の里は、「横綱としてしっかり盛り上げられるようにしたい」と次の100年への思いを語りました。

これまでも、これからも変わらず受け継がれるもの

今では日本人力士だけでなく、さまざまな国から相撲に憧れやってきた外国人力士の活躍もめざましくなりました。相撲の世界でも、時代の流れとともに変わっていくもの、変わらないもの、いろいろとあるようです。しかし、「大日本相撲協会」の設立から100年、優勝力士に渡される純銀製の天皇賜杯だけは変わらず、ずっと同じものを使っているのだそう。

1945(昭和20)年の東京大空襲で国技館が燃えたときにも、「賜盃だけは守らねば!」と相撲を愛する人たちの手によって守られ、ここまで受け継がれてきたそうです。

力士たちが体をぶつけ合う土俵。すぐ横には「砂かぶり」の席が(photoAC)

「日本相撲協会」は、年寄・力士・行司・呼出・床山らで構成され、唯一職業相撲を興行する団体。テレビ放送で楽しめる本場所だけでなく、地方に出かけていく巡業の開催、また国際親善などを通じて、日本の相撲道の伝統と秩序を守り継承しています。

「相撲」といえば、おじいちゃんやおばあちゃんが夕方からテレビの前に座って、お気に入りの「お相撲さん」を応援していた姿を思い出します。「砂かぶり」とも呼ばれる土俵に最も近い溜席(たまりせき)に連れて行ってあげたいなと、筆者は子供心に思ったものです。

力士の料理といえばこれ!「ちゃんこ鍋」でごっつぁんです!(photoAC)

厳密には「国技」を明確に定める法律はありませんが、日本の文化に深く根ざし、国民からも支持されることで「国技」と称される相撲。これからも日本中を楽しませてくれる大相撲を見せてほしいと思います。

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『おとなの週末』Web編集部
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