地下鉄の父も発起人のひとりだった ~鎌倉急行電気鉄道~
目黒玉川電気鉄道の多摩川駅~長谷鎌倉駅間の出願が却下された翌月(1928/昭和3年1月)のこと、また新たに鎌倉を目指す鉄道が現れた。鎌倉急行電気鉄道と名乗った会社は、目黒玉川電気鉄道とほぼ同じルートで渋谷駅から鎌倉長谷寺のある街(鎌倉町坂ノ下)を目指す鉄道敷設免許の出願を行った。まるで目黒玉川電気鉄道の動きを、察知していたかのようなタイミングだった。
何かの力が動いたのか、翌年となる1929(昭和4)年6月に鎌倉急行電気鉄道に免許が下付された。話が少々脱線してしまうが、同社の創立発起人には東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線の一部)を創立した早川徳次(はやかわ・のりつぐ)氏も加わっていた。この鎌倉急行電気鉄道が、1929(昭和4)年12月に渋谷駅~万世橋駅間に地下鉄の免許申請を行っていたことも、なんとなく合点がいく。
この地下鉄計画は、1934(昭和9)年2月に免許出願を却下されてしまう。計画していた路線は、渋谷駅から現在の銀座線と同じルートをたどり、新橋駅から数寄屋橋、東京駅、神田鎌倉河岸駅、万世橋駅とを結ぶ予定だった。くしくも東京市高速度鉄道という市営地下鉄の計画線(免許線)の一部と競合していたことが、却下の理由であった。しかし、東京市高速鉄道(東京市)は、この年の9月に財政難を理由に地下鉄敷設免許を民間企業へ譲渡してしまった。その一部の路線は、のちに早川徳次氏と敵対関係となる東京高速鉄道の手に渡ってしまう。
すでに早川徳次氏は、1934(昭和9)年6月に東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線)の浅草駅~新橋駅を開業させていた。鎌倉急行電気鉄道が計画していた地下鉄と、乗り入れさせたかったようにも思えるが、そもそもレールの幅や電気の集電方式が異なっていたので、その腹積もりはなかったのだろう。
その後、強盗慶太の異名を持つ五島慶太氏(のちの東急グループ総帥)率いる東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線渋谷駅~新橋駅間)と、早川徳次氏率いる東京地下鉄道が、互いの路線を奪い合う壮絶な“経営権争奪戦”を繰り広げたことは、その界隈では有名な話だ。






