皇室のヒミツ、皇族の素顔 【画像ギャラリー】貞明皇后の戦時疎開 #宮内庁#皇室#終戦の日 記事に戻る 1945(昭和20)年6月に造られた地下防空壕(御文庫附属室庫)に備わる会議室。終戦間近の8月10日未明、この場所でいわゆる御前会議が開かれた=写真/宮内公文書館蔵開業時(1936/昭和11年)の善光寺白馬電鉄と山王駅の様子=長野市中御所(なかごしょ) 写真提供/善光寺白馬電鉄株式会社貞明皇后(当時は皇太后)と一緒に写る3人のご子息。(左から)昭和天皇、秩父宮雍仁(ちちぶのみややすひと)親王、高松宮宣仁(たかまつのみやのぶひと)親王。なお、末っ子の三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)親王は写真に写っていない=写真/宮内公文書館蔵貞明皇后の疎開を通知する宮内省(当時)が作成した内部文書。疎開日は当初、8月18日で計画されていたことが読み取れる=宮内公文書館蔵数少ない当時の資料より「火砲搭載車スケッチ図」。このような装備を施した戦闘車両がお召列車に編成された=図絵提供/国鉄大宮工場資料室貞明皇后を乗せ軽井沢へ向かったお召列車の編成図。編成の中で「〇の中に防」と書かれているのが、高射機関砲を積載した戦闘車両=資料/宮内公文書館蔵 記事に戻る 「未曽有の国難のときに疎開はできぬ」貞明皇后の終戦後の“疎開生活”