先の大戦下における皇室専用列車は極秘扱いだった 84年前に昭和天皇を乗せて走った“防弾装置”を備えた御召列車とは #皇室#鉄道 記事に戻る 代々木練兵場で行われた興亜馬事大会を視察される昭和天皇と軍部一行=1941年4月7日、写真/宮内公文書館蔵いわゆる御前会議といわれた大本営で行われた会議の様子=1944(昭和19)年12月27日、写真/宮内公文書館蔵これは、1943(昭和18)年の皇太后の行啓に関する記録簿冊だが、「本件秘扱いとする」、「還御後に発表」といった情報統制に関する朱書き(注意書き)が見られる=資料/宮内公文書館蔵1942(昭和17)年に昭和天皇が茨城県土浦市にあった第11連合航空隊へ行幸したことを記録した行幸録より。御召列車が東京駅と土浦駅を往復したことが記されている=資料/宮内公文書館蔵昭和天皇が茨城県土浦市にあった第11連合航空隊へ行幸した時の記録写真より。天皇の鹵簿〔ろぼ〕(御召自動車)と出迎えの軍関係者とともに、その上空には編隊を組んだ航空機が写る=1942年7月13日、写真/宮内公文書館蔵昭和天皇が茨城県土浦市にあった第11連合航空隊へ行幸した時の記録写真より。第11連合航空隊を視閲する昭和天皇(最前列左)=1942年7月13日、写真/宮内公文書館蔵昭和天皇の神宮参拝のようすを伝える当時の新聞。朝日新聞(昭和17年12月14日・朝刊)より=資料/宮内公文書館蔵昭和天皇の神宮参拝を通知した当時の宮内省文書。行程は2泊3日で、宿泊は京都御所に泊まられた=資料/宮内公文書館蔵昭和天皇を乗せて伊勢の神宮へと向かった御召列車の編成図。左から3両目の車両が天皇が乗車した御料車で、その一つ手前の「供奉・近衛将校」と書かれた車両には、天皇が非常時に退避する鉄箱(よ号装置)が置かれていた=資料/宮内公文書館蔵よ号装置と呼ばれた列車内(供奉車=お付きの人が乗る車両)に設けられた昭和天皇の御身を護るための退避設備を備えた車両内部の想像図。残念ながらこれに関する当時の図面は残されていない。〔国鉄車両形式図に筆者加筆〕=資料原図/日本国有鉄道「よ号装置」と呼ばれた鉄製の防弾設備が設置された車両の1等室「イ」は、本来は定員が16人のところ、抹線で消された半数の8人と記載されている。こうした部分からも防弾設備の大きさが想像できる=資料/宮内公文書館蔵 記事に戻る 先の大戦下における皇室専用列車は極秘扱いだった 84年前に昭和天皇を乗せて走った“防弾装置”を備えた御召列車とは