90年前の東急東横線で活躍した「ガソリンカー」 経済的に優れていた車両は、なぜ短命に終わったのか #横浜#渋谷#祐天寺#鉄道 記事に戻る 「東京横浜・目黒蒲田電鉄 電鉄線路略図」。昭和11年(第52回)東京横浜電鉄営業報告書より。東京横浜電鉄(東横線)と目黒蒲田電鉄(目蒲線・池上線)は、1924(大正13)年に「提携」を結んでいた=資料/国立公文書館蔵車両導入時に撮影されたキハ1形ガソリンカーの形式写真。東横線元住吉工場で=昭和11年、撮影/伊藤東作東横線で試運転を行ったキハ36900形の晩年の姿(同系列車両)=1959年3月1日、大原駅で、撮影/豊永泰太郎入線まもない頃の東横線のガソリンカー(キハ1形〔キハ1〕)。元住吉工場で=1936年頃、写真所蔵/市川健三東京横浜電鉄が作成した「石油消費節約状況調」=資料/国立公文書館蔵ガソリン使用規制下におけるガソリンカー(キハ1形)の使用実績を示した車両運用表=資料/国立公文書館蔵東横線元住吉車庫で撮影したと思われるガソリンカー(右)とモハ500形(左)=撮影年次不詳、撮影/鈴木靖人神中鉄道(→のちの相模鉄道)へ売却された東横線のガソリンカー(キハ1形)=撮影年次・場所不詳、撮影/鈴木靖人 記事に戻る 90年前の東急東横線で活躍した「ガソリンカー」 経済的に優れていた車両は、なぜ短命に終わったのか