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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。フォーク歌手の高田渡(1949~2005年)は、1969~71年にかけて京都で過ごし、関西フォークの中心的な存在として活躍。その後は東京に戻り、吉祥寺界隈を拠点に独特の世界観を持つフォークソングを世に送り続けました。第2回は、プロモーションの話題です。テレビ嫌い、映像嫌いの高田渡が、ある日怒っていたそうで……。

テレビでの露出が重要視された時代

現在はYouTubeなどのメディアをどう利用して、プロモーションにつなげるかがミュージシャンにとって大切なことになっている。インターネットが一般化する前はテレビの露出が重要視される時代もあった。例えば紅白歌合戦に出演したことにより、知名度が上がり、セールスが伸びるなどと言われていた。

1960年代末から1970年代初期にデビューした芸能界系とか歌謡曲系でない、ニューミュージックとひとくくりにジャンル分けされたミュージシャン達の中には、テレビに出て人気を得るのを潔しとしない人も多かった。大メジャーと後に言われる井上陽水、松任谷由実などといった人達が売れたのは、ライヴでの集客、ラジオのオンエア、口込みなどによるところが大きかった

高田渡も映像とは無縁の人だった。彼の死は久米宏がキャスターを務めていた「ニュースステーション」などで取り上げられたがどの映像もたったひとつのスカイパーフェクTVでオンエアされた『FOLK AND MASTERS』からのものが使われていた。他に映像が無かったのだ。

高田渡の名盤の数々。1971年の『ごあいさつ』(右上)には、京都時代を歌詞に盛り込んだラブソング「コーヒーブルース」などを収録。はっぴいえんど(大滝詠一、鈴木茂、細野晴臣、松本隆)らが演奏で参加している

特別に冷えた缶ビールを用意……「だからこの番組は好きなんだよ」

『FOLK AND MASTERS』は、ぼくが司会、構成、共同プロデューサーとして1990年代に立ち上げた番組だった。いわゆる地上波にほとんど出演しない、日本の音楽シーンのルーツ・ミュージシャンをスタジオに招く。スタジオでアコースティック・ライヴをやってもらい、ぼくが司会者としてミュージシャンにかなり切り込んだインタビューと合わせて1時間番組として放送されていた。

高田渡は単独で2回、西岡たかしなどと共演で1回出演してくれた。この番組の間の何本かは後にDVD化され発売された。高田渡の出演回も『ROOTS MUSIC~高田渡:スタジオライブ&インタヴュー』として2003年に発売されている。定価2000円だったのにAmazonで調べてみたら、中古品でも6000円以上のプレミアがついていた。このDVDには13曲のスタジオ・ライヴとぼくのインタビューが収められている。

高田渡は『FOLK AND MASTERS』に出演することを割りと楽しんでくれた。スタジオは禁酒禁煙だったが、ディレクターに頼んで、特別に冷えた缶ビールを半ダースは用意していた。今日もちゃんと用意していると高田渡に言うと“だからこの番組は好きなんだよ”と人なつっこい笑顔を見せてくれた。で、ビールを2缶ほど飲む。すると彼は“さあ、演ろうか”と言い出す。ディレクターは慌てる。カメラの位置決めも座り位置も音声チェックなどもまだできていない。

ギターを持って椅子にちょこんと座って、今にも唄い出しそうな彼をなだめるのはぼくの役だった。“渡さん、頼むから、8小節くらいでいいから演ってください”とぼくが言う。すると“しようがないなあ、じゃあ8小節だけだよ”と言って、本当に8小節しか演ってくれない。早く残りのビールを飲みたいのだ。ミュージシャンによっては音声チェックやリハーサルに5時間かける人もいるのに、彼は数分で即本番。だから収録は出演ミュージシャン中、最速で終わった。

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岩田由記夫
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