国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から登場するのは、クレイジーケンバンドのリーダー、横山剣です。1981年にクールスRCのヴォーカルでデビュー。その後、ZAZOU、CK‘Sなどのバンドを経て1997年にクレイジーケンバンドの活動がスタートしました。第1回は、クレイジーケンバンドでの華々しい活躍の前、未明の時間帯にFMのスタジオに現れた横山剣の様子に触れます。
明け方5時までの生放送
ジャパン・エフエム・ネットワーク(JFN)は1981年に発足した。JFNとは1県1局化するFM放送のために考案された。設立社のうちの1社であるFM東京(当時)は、各エリアの放送局とネット構成をしていた。
FM局が各県1局体制となると困ったことが起きる。例えばFM愛知とFM三重は近接しているので、どちらの局でも同じ番組が流れてしまう。そこで多極化以前のネットワークはそのままにして、後発局には別の番組を流すことになった。それがJFNの役割だった。ほかにもJFN設立理由はある。それは放送局ができたものの新局には番組作りのノウハウが乏しい。さらに24時間を1週間埋める制作費も無かった。それがJFNからのネットとなると制作費も助かると言うわけだ。
FM東京中心のネットはAライン、JFNはBラインとも呼ばれた。ぼくはJFN開局に関わり、DJとしても毎週金曜日夜24時から明け方5時までの5時間の生放送を10年以上続けさせて頂いた。毎晩2組の生ゲストを迎えていたので、10年以上の放送で1000組以上のミュージシャンを番組内でインタビューしたことになる。
金曜深夜のスタジオによく遊びに来てくれた
ぼくの番組アシスタントも何人か入れ替わった。西村由紀江、刀根麻理子などといった女性ミュージシャンたちだ。その歴代女性アシスタントのひとりが、現在はmickey-Tとして歌い続ける神崎まきだった。当時、ソニー・ミュージック・ジャパンの大プッシュ・ミュージシャンのひとりだった。その神崎まきのDJ時代、金曜深夜のスタジオによく遊びに来たのが横山剣だ。
5時間もある生放送だったので、予定された2組のゲスト以外にもスタジオに遊びに来た人々を“突然のゲスト”として番組に出場させていた。番組がスタートした頃は、放送を流すFM東京は新宿のKDDビル(当時)の高層階にあった。深夜は人が入りにくかった。番組がスタートしてすぐに半蔵門前にFM東京の自社ビルが建った。現在のようにセキュリティが厳しくなくて、ウィークエンド・スペシャル(ぼくの番組名だ)に出演中の岩田由記夫と会いたいと受付に言えば誰でもスタジオにやってこれた。
人気だったC-C-Bの関口誠人、一世風靡セピアの哀川翔…、いろいろな面子がフラッと深夜のスタジオに現れ、突然のゲストとして番組出演してくれた。それはFM東京のビルが、新宿、赤坂、青山、六本木などといった夜の街からタクシーですぐだったという理由もあった。夜遊び感覚でスタジオに来てくれたのだ。