いつもそこにある味、存在が、どれほど私たちにとって大切か。その長い歴史には、たくさんの苦労や喜びが、ぎゅっと詰まっている。そしてその結晶は、味覚を超えた“味わい”として、今日も誰かの心に残る。
穏やかな日常と王道の旨さを噛み締める路地裏の名店
どの世界でも王道とは尊いものだが、チャーハン界における最高峰とも呼び声高いのが『一寸亭』の味わいだ。もし一寸法師だったら(一寸だけに)挑みたくなるような緩やかな丘の情景は、美味の日本百景に選定したいほど惚れ惚れする美しさ。彩るナルトが何とも郷愁を誘うことよ。ややしっとり系の米粒に絶妙な食感のアクセントを与え、れんげを運ぶ手を加速させる。ジャッジャッと鍋を振るう厨房の音、昼からひとりで杯を傾ける常連さん、店前の路地から聞こえてくる学校帰りの小学生の笑い声。ランチの忙しさを終えた午後、穏やかな時間が流れていく。この店の日常だ。「ちょっとてい」と読む。店名の由来を聞けば、「創業した昭和48年頃はカウンター7席しかない小さな店でした。だから『ちょっとした店』という意味と、『ちょっと寄っていってよ』という思いから両親が考えたようです」。2代目の大塚真也さんが教えてくれた。他の中華料理店やホテルなどで経験を積み、17年ほど前から創業者で父の貞夫さんを手伝うように。確かな戦力で店を切り盛りする真也さん。その姿に、貞夫さんも「助かります」。親子で守る厨房から繰り出される実直な味が、今日も誰かの胃袋を幸せにする。
2大人気が先の「チャーハン」と「モヤシソバ」だ。前者は具がナルト、チャーシュー、玉子のみの潔さ。炒め過ぎない火入れがポイントで、お玉で叩くように馴染ませながら仕上げていく。あえてふっくら温かいご飯で作るのも、米がダマにならず、味にバラつきが出ないようにするため。うーん、至ってシンプルなのに何でこんなに旨いのか。
一方、後者は創業からの定番中の定番。醤油ベースの味は3時間以上かけて仕込んだ豚骨と鶏ガラのスープがとろりと深い奥行きだ。シャキッと小気味いいモヤシとモチモチの中太麺にたっぷり絡む。香り付けに回し入れたごま油の風味が、後からふわり。いやあ、こっちもいいねえ。
真也さん曰く「創業からのベースの味を大事にしながら、時代に合わせて使う素材や配合を微妙に調整しています。例えば以前はスープに魚介系は入れてなかったけど、今はサバ節を少し加えたり」。
守るべきことは守り、改良すべきは対応する。品書きにはさりげなくブラッシュアップされた新旧の味が仲良く並んでいる。中華以外にカツ丼やオムライスもあったりして、その数およそ100種。飽きずに何度でも来てもらえるよう、どんどん増えていったんだとか。しかもどれも旨いんだから、できることなら1日中、あれこれつまみにしてここで飲んだくれていたい。と妄想していたら、地元の常連さんが声をかけてくれた。「自家製の杏仁豆腐も旨いから食べてみてよ」。自分の店のようにデザートまで自慢する。愛されているんだなあ。店に対して妙な言い方だけど、嫉妬するほど、うらやましいったらないのだ。
『一寸亭』の店舗情報
住所:東京都台東区谷中3-11-7
電話:03-3823-7990
営業時間:11時半~20時(19時半LO)
定休日:火曜
カウンターあり/全19席/全席禁煙/予約可/カード不可/サ・お通し代なし
交通:地下鉄千代田線千駄木駅2番出口から徒歩6分、JR山手線ほか日暮里駅北改札口から徒歩8分
撮影/菅野祐二、取材/肥田木奈々
※店のデータは、2022年5月号発売時点の情報です。
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