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女将やマダムのいる店は、何かが違う。「女将」ってなんだろう?その姿に迫る『おとなの週末』連載「女将のいる場所」を、Webでもお届けします。第9回目の今回は、東京・銀座にある1950年開業のそば・軽食店『泰明庵』の女将、濱野照子(※本来は「濱」の異体字)さんです。

『そば 軽食 泰明庵』の女将・濱野照子さん

戦後の銀座は、焼け跡だった。天ぷら修業をしていた父はリヤカーで鮮魚を行商し、店を構えたらアメリカの水爆実験で魚が売れず、仕出しを始める。それが食堂に発展した『泰明庵』である。不屈の父と寛容な母。濵野照子さんはふたりの次女で、5人きょうだいの2番目だ。

昭和16年に生まれ、母校は泰明小学校。姉と妹は唄や踊おどりを好んだが、照子さんの夢中は本、それもフランス古典文学の『巌窟王』だ。あの頃、子どもはみんな道路にいた。妹や弟をおんぶして、紙芝居にメンコに缶蹴りに。

銀座の路上には、進駐軍もいた。照子さんはアメリカ兵に、トイレの場所を訊かれたことがある。「公園のトイレは汚いし」と悩んだ彼女は、すずらん通りの百貨店を思いつく。さらには「道を教えるだけじゃ迷うかも」と心配で、現地まで誘導。するとおもちゃを買ってくれてびっくりした、と笑いつつ、小さな子に譲ってしまった。

幼い姉妹を育てながら30歳で店に

困った人を助けたい。結婚して、幼い姉妹を育てながら30歳で店に立ったのも、弱った母を楽にしたい一心だった。昼間だけの約束が、やむなく夜にも延びたのだ。

「だから私は女将じゃなくてお手伝い、店の従業員です」

接客経験、重圧、気負い、どれもなし。ただ、お客を見れば自然に体は動いていた。くしゃみをしたならティッシュを差し出し、むせる人には水を注ぐ。あの人はどうしたい?何が足りない?“見て、次を読む”彼女の素養は、スピード勝負の食堂で求められ、磨かれていく。

つらかったのは、母が入院した時だ。照子さんが時間をやりくりして見舞うと、「店に戻って」と懇願された。大好きな母。姉や妹と一緒に側で看たいのに、気づけばそんな役割になっていた。でも、母がそれで幸せならば。

「私に何かできるなら、やれるならやろう、と思います」

『そば 軽食 泰明庵』の女将・濵野照子さん

朝9時前から、夜21時までノンストップで働く

朝9時前から店の床を掃いて拭き、11時半に店を開けたらノンストップで21時まで。店の片隅に必ず立っている照子さんは灯台のようだ。そう言うと、「いえいえ、この店は、父の跡を継いでがんばってきた弟がいてこそ」と姉の顔を見せた。

鮮魚店から数えて74周年。無口だが仕事熱心な弟が、お客の要望に応えて増えた料理の数々。それらを一品ごと記した壁の短冊は、亡き姉の筆である。

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おとなの週末Web編集部
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