今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第36回目に取り上げるのは、トヨタのコンパクトFRセダンのアルテッツァだ。
セダンが売れない!!
バブル崩壊後日本のクルマ界は激変し、RVブームが到来。このRV人気の兆候はバブル期にもあったのだが、1991年デビューの2代目三菱パジェロの登場が決定打となり、その後RV人気が一気に加速。クロカンブームに続き、ミニバンブーム、ステーションワゴンブームという感じで、日本車はRVが市民権を得ていた。
それに対し日本のクルマの王道だったセダンが販売を大きく落とすようになった。2024年現在まで続いているセダン受難の始まりだ。セダンを最も多くラインナップし、人気を得ていたトヨタの影響は最も大きく、日本国内のシェアも1995年はかろうじて40%台をキープするも、1996年には39.7%と40%を切り、1998年には39.4%となるなどトヨタをしても苦戦を強いられていた。
セダンイノベーション
トヨタはユーザーのニーズに合わせてRVのラインナップを充実させていったが、その一方でセダンの復権を狙っていた。1996年にはセダンの魅力を大々的にアピールし”セダンイノベーション”というスローガンを掲げてマークII/チェイサー/クレスタがフルモデルチェンジ。
続いて2代目アリストをデビューさせる。クラウンシリーズから独立したアリストは、個性的なデザイン、圧倒的な動力性能により人気となったが、セダン復権の起爆剤とはならず。しかしトヨタのセダンイノベーションはさらに続き、ブランニューセダンのプログレをデビューさせた。大きく、豪華が当たり前だった日本車に”小さな高級車”をアピールしたプログレは一石を投じ、大きな可能性を感じさせたが、個人的な見解ながら、デザインが個性的過ぎた。それはトヨタの狙いだったのかもしれないが、プログレがもう少し、悪の少ない万人受けするデザインで登場していれば、現在も存続していたかもしれない。結果論だが、そう考えるとちょっともったいなかった。
デビューの2年前からスクープ
そんなセダン受難時代の1998年に登場したのがアルテッツァだ。ほぼ5ナンバーサイズのFRセダンへの期待感は激高だった。
自動車雑誌『ベストカー』は新型車のスクープを売りとしているが、アルテッツァのスクープ情報はデビューの2年前くらいから誌面を賑わせていた。実際にアルテッツァのスクープを掲載した号は売り上げが伸びる、つまりユーザーが登場を心待ちにしていたのだ。
デビューまでにエンジンラインナップ、トランスミッション、エクステリア&インテリアデザインの詳細、車名などが段階的に明らかになり、『ベストカー』の編集部員だった筆者も、当時アルテッツァの情報に一喜一憂していたのが懐かしい。当然読者からの問い合わせも多かった。