初志貫徹できず
トヨタは、「自分たち(開発陣)が欲しくなるようなコンパクトかつスポーティなFRセダン」というコンセプトでアルテッツァの開発に着手。コンセプトキーワードは『インテリジェント・アスリート』で絶対的な速さではなく、キビキビと走り、操る楽しさが感じられるクルマを目指したという。シンプルに走りを追求したベーシックFRというキャラを目指したのだが……。
しかし、事は簡単には運ばない。アルテッツァはレクサスの初代ISとして販売されることになっていたから、BMW3シリーズ、メルセデスベンツCクラスに対抗する必要があり、プレミアム性を加味することも求められていた。
ISは直6エンジン搭載モデルしかなく、アルテッツァ用に直4が特別に用意されたスポーツモデルのため、直6よりも直4のほうが高額になっていた。
アルテッツァは、ISとの絡みもあり初志貫徹できず。どちらか一方に突き抜けることなく、スポーツセダンとプレミアムセダンのいいとこ取りをしたつもりが、最終的には中途半端なクルマになってしまった感は否めない。
コンパクトセダンとしては重すぎた
前述のとおり、レクサスISはアルテッツァのデビューの翌年1999年から欧州での販売を開始。つまり欧州基準でのクルマ作りが必須となり、欧州の衝突安全基準に適合するように作られたため、ボディサイズのわりに重かった。
ハイパワーモデルのRS200でさえ210ps。そのパワーに1300~1400kgのボディは重すぎで、アルテッツァの弱点になっていた。クルマは速さではない、と言いながらもユーザーは「アルテッツァは遅い」と評判となった。これはサーキットを走ってどうこうという問題ではなく、街乗りでのダルさが指摘されていた。
AE86が軽量でヒラヒラするようなFRの走りが人気となっていたため、重いという時点で根本的にAE86とは違っていた。結果的に「AE86の再来を期待したのにガッカリ」となってしまったのだ。期待が大きかったことによる悲劇と言えるだろう。
FRのハンドリングは素晴らしかった
重いことがアルテッツァのネガになっているのは確かだが、裏を返せば、通常の日本仕様では省かれていたような補強などもふんだんに入っているため、当時の日本車ではボディ剛性はかなり高かった。
前述のとおりアルテッツァはアリスト、プログレとプラットフォームを共用しているわけだが、ホイールベース内に重量物を集中させ、前後のオーバーハングを極端なまでに切り詰めている。走行性能に直結する重量配分に気を配り、ヨー慣性モーメントを低減することでコーナリング性能を大きく向上させていた点は特筆。
アルテッツァは強固なボディ、しっかりとしたシャシーによりFRのハンドリングを楽しむことができたのは、クルマのプロ、ユーザーからも評価が高かった。