港区・芝公園に古墳があった!
都営三田線「芝公園」駅の4番出口を出ると、そこはすでに芝公園の入り口です。
公園内の整備された散策路の途中には、明治時代から続く梅園があります。季節になれば白や薄紅色の花がきっと美しいでしょう。
公園の片隅のベンチでは、背広を着た30代くらいの男性が缶コーヒーを片手にまったりしていました。
そんなのどかな公園に、今回のもっこり「芝丸山古墳」はあります。
そこだけ樹木がこんもりとし、オーラが漂っているように見えます。僕に霊感はありませんが、それでも何となく感じるものがあります。そう、古墳はパワースポットなのです。
この古墳は墳頂へと登ることが出来ます。その石段も相当年季が入っており、古い寺のような趣です。少し登ると墳頂ではなく、階段で言ったら踊り場のような、そんな広場に出ました。
片隅にお稲荷さんがあります。「丸山随身稲荷大明神」とのぼりに書いてあります。
説明板によれば隣の増上寺建立時からあるそうです。実は古墳には稲荷神社が祀られていることが多いのですが(稲荷神社の総本山、京都の伏見稲荷も古墳の上に建っています)、もっこりとした形が富の繁栄をイメージさせるからでしょうか。この連載が末永く続くようお参りしたのは言うまでもありません。
さらに石段を登ると墳頂に出ました。そこも広場になっています。手前が四方形で狭く、奥は円形で広い。確かに前方後円墳です。
奥に歩いて行くと、さらに大きな広場に突き当たりました。円墳の部分です。ベンチなども多数設えられているのですが、人っ子ひとりいません。ですが、ここは江戸時代から庶民の憩いの場となっていたようで、茶店なども出ていたようです。
片隅にあった古びた石は茶店の腰掛け代わりに使っていたのかも? と想像が膨らみます。
広場の中央にあるストーンヘンジのような石碑は、この古墳を1897(明治30)年に発掘調査した考古学者・坪井正五郎が建てたものです。
そこには「瓢(ひさご)型大古墳」の文字が刻まれています。前方後円墳の昔の呼び名ですが、瓢=瓢箪(ひょうたん)とは風情のある呼び方ですね。
なぜかあの偉人の石碑が!
もうひとつ石碑があるのですが、それは日本初の実測地図を作った江戸中期の地理学者で測量家の伊能忠敬の記念碑です。伊能の住居は今の江東区深川にあり、富岡八幡宮には銅像もあるのですが、芝とどんな関係があるのでしょう。ご存知の方がいたら教えてください。
この石碑の裏に、僕の好きな場所があります。
そこからは東京タワーが一望できます。夏場は茂る木々に邪魔されてよく見えないのですが、冬枯れの季節なら、土台からてっぺんのアンテナまで丸っと見えます。なぜなら、この芝丸山古墳と東京タワーの間は谷で、視界を遮る高い建物がないからです。
今より海面が高かった古墳時代は、目の前に海が広がっていたと思われます。ということは、ここは岬の崖っぷち。水面は太陽できらめき、潮の香りを風が運んできて──こんな妄想をしていると、時間はあっという間に過ぎてしまいます。
最後に、私が作った動画をお届けします。遠方にお住まいの方には、こちらで行った気分になってもらえれば幸いです。
[かたち]前方後円墳
[大きさ]高さ推定8m、全長106m
[概要]6世紀から7世紀後期の古墳で東京最大級。なぜか墳頂広場に伊能忠敬の記念碑がある
[交通]都営三田線芝公園駅から徒歩4分
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