凛とした空気が心地よく、人の流れも心なしか緩やかな冬の京都は、忙しい日常を送るわたしたちが自分と向き合い、心身をととのえ、新しい境地を得られる大切な時間を与えてくれます。もっと身近に体感する「暮らすように楽しむ京都」をコンセプトに、3回にわたって京都での体験を紹介します。第1回は、坐禅およびお香づくりを通して得た“無の境地”。
ジョブズも信奉した禅の思想 古刹での坐禅は経営者にも人気
年末年始に「このままでは例年のごとく、時間に追われ実のない1年で終わってしまう」と危機感を抱いた筆者は1月中旬、初めて冬の京都を訪れました。正月気分の艶やかさを脱ぎ去った都大路は観光客もまばら。ふと、いままでのような観光気分でなく、暮らしの中に根付く京都の精神にふれてみたいと、まずは坐禅体験へ向かいました。
米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズが生前、禅の信奉者として多忙な合間をぬって京都を訪れていたのはよく知られていますし、国内外の経営者の間では、近年、お寺での坐禅がブームになっています。静謐な古刹で、しかと自分と向き合った先には、何が見えるのか。初めての坐禅に期待と不安を抱え、「萬福寺(まんぷくじ)」(宇治市)へ。
ひたすら「座る」ことの難しさ 日常では得られない新鮮な感覚に驚き
1661年、中国僧、隠元禅師によって開創された同寺は、中国明朝様式をふんだんに取り入れ、その多くが国の重要文化財に指定されています。
講和上手な吉野弘倫主事の案内に緊張もほぐれ、まずは、二つ折りの座布団の上に足を組んで座ります。「体の中心に鉄の棒1本を通したと思って姿勢を正して。自ずと心もととのうことでしょう」と吉野主事。確かに腰骨を立てて姿勢をよくすると、雑念が消えて頭の中がスッキリ。ふだん忙しなく動き回っているので、座ることに全神経を集中すること自体めずらしく、新鮮な感覚にとらわれます。
ただ、その瞬間に心身をゆだねる心地よさ “全(禅)集中”で得られた究極の癒し
合唱、一礼して坐禅開始。体の前で軽く手を組んで半目を開き、ゆっくり呼吸しながら一切の動きをとめます。張りつめた空気のなか、吉野主事が坐禅中に体が動いた者の肩を叩く棒の警策(きょうさく、けいさく)を肩に乗せながら、ゆっくり床を進むかすかな音だけが聞こえてきます。はじめ、頭の中には、次から次へと煩悩が襲ってくるのですが、それらを無理に振り払うわけでもなく、新しい答えが浮かぶわけでもなく、いずれそれらも消え去り…その瞬間に心身をゆだねる心地良さが何とも言えません。
わずか15分ほどでしたが、終了後はいままで感じたことのない、究極の癒しを体験することができました。
「日常生活でも、ひとつひとつの動作にただひたすら集中して打ち込むことこそ、立派な坐禅の精神です」(吉野主事)。非日常体験だとばかり思っていた坐禅ですが、生きること自体、修行であると考えれば、ぜひ、禅の精神を積極的に日常に取り入れていきたいです。