国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。竹内まりやの第3回では、1981年末に休養宣言し、82年4月に山下達郎と結婚した後のことがつづられます。ラジオ局でたまたま逢った時に、筆者に漏らした言葉とは……。
潜在的な作曲能力を見抜いた
竹内まりやの夫、山下達郎は人間としても素晴らしいが、音楽人としても奥行きがあると思う。竹内まりやと山下達郎が結婚した時点では、音楽的な知識、作曲能力などどれを取っても容積は山下達郎の方が大きかったと考えられる。
普通なら、声と歌唱力に定評のある竹内まりやという音楽的素材を身近な存在にしたら、自由にプロデュースしたくなるのではないだろうか? 竹内まりやの声と歌唱力に合った楽曲を山下達郎が作る。それを彼女の特質を活かしたアレンジやサウンドに当てる。ところが、そうならなかった。
山下達郎は竹内まりやが作曲した楽曲をプロデュース~言わば裏方~することのみに徹した。ここが、山下達郎の音楽人としての奥深いところだ。恐らく山下達郎は、竹内まりやの潜在的な作曲能力までを見抜いていた。自分が何から何までの音楽的作業をするより、彼女が自由に作ったものを、裏方としてのプロデュースで支える方がベターだと判断したのだろう。そして竹内まりやは山下達郎との結婚によって、それ以前よりもミュージシャンとしての才能を開花させて行った。
「ふと音楽していたいなと思うの」 ラジオ局で雑談していた時……
人の結婚生活を覗き見する趣味は無いが、竹内まりやと親しいアン・ルイスが、結婚後、間もないふたりの家へ遊びに行った話をしてくれたことがあった。アン・ルイスをインタビューした後の雑談だった。
“あのさあ、あのふたりって、いつも話してばっかりなんだよね。もう、何日も徹夜で議論というか、話をしてるんだよね。子供作るなら、話だけではできないでしょう”
竹内まりやと山下達郎が夜を徹して何を話していたかは知らない。でもふたりの相性というか、関係性が分かる微笑ましいエピソードだ。ちなみにアン・ルイスの心配?をよそにふたりはすぐに子供を授かった。そのお子さんがぼくの長男と同い年だったので、子育てについて竹内まりやと話したこともあった。
ひとりの人間として幸福な結婚生活を送っていた竹内まりやだったが、ミュージシャンとしての苦悩はあったようだ。仕事でわりと深夜にFM東京(現TFM)に行った時のことだ。自分の番組の収録のためにFM東京に来ていた山下達郎に竹内まりやが同行していた。廊下で彼女にバッタリ出逢って、空いていたスタジオで雑談となった。昔の話、子供の話などの本当の雑談だった。でも、ついつい音楽の話になった。
“結婚して、子供もできて、幸せだと思うの。でも子供を公園で遊ばせている時とか、ふと音楽したいなと思うの。それで家に帰って子供を昼寝させた後に、キッチンのダイニングテーブルに座って、曲とか詞の構想を練ったりするんだけど、これが形に成るのかなと思ったりしてね。ちょっと悲しくなったりする。ああ、私ってやっぱり音楽作るのが好きなんだなって思う”