サブルおじさん逃げる その話を聞いて、縁もゆかりもないと思っていたキルギスに急に親近感が沸いた。ルーツは同じかもしれないのか……と感慨深く、運ばれてきた食後の紅茶をひと口、飲んだとたん、吹き出しそうになった。恐ろしく甘い…
画像ギャラリー中央アジアでは英語がほとんど通じない! 必死にロシア語を手に書いて覚えて旅をしていた私は、キルギスで英語の話せるバツイチおじさんの家に泊まることになった。これで言葉に困ることはないと安心したのだが……。前編に続き、中編もお楽しみください。
キルギス人とは兄弟だった?
キルギスの首都、ビシュケクにたどりついた私は、副業で部屋を貸している大きな民家に泊まることになった。そこには50~60代のバツイチ3兄弟とその息子や娘、さらに愛人や居候を含めて10人の大家族が暮らしていた。
「さあ、夕食にしよう」と英語が話せる三男のサブルおじさんが私に席に着くように言った。椅子に座ると長男の愛人だというラトミラさんがジャガイモとニンジンのスープを運んできてくれた。醤油が入っていないだけで、汁が多めの肉じゃがのようである。名前を聞いたら「ドゥンダマ」というキルギスの家庭料理だそうだ。
柔らかいジャガイモがホロホロと煮崩してあってやさしい味がしたが、羊の肉はほとんど入っていない。このスープとパンがひとつだけ。食事は質素でやはり生活は苦しいのかもしれない。スープをすすっていると、サブルおじさんが「日本人とキルギス人って顔が似ているだろう?」と話しかけてきた。
「うん、来る前は、旧ソ連だから金髪青い目の人ばかりかと勘違いしていたんだけど、日本人とそっくりな顔だちの人が多いんだね」
「イエス。実は日本人もキルギス人もルーツは同じで、魚が好きな人は日本へ、肉が好きな人はキルギスに行ったという伝説があるんだよ」
「へえ。知らなかった! やっぱりここは肉ばっかりなの?」
「昔はみんな遊牧民だったから羊だよね」
なるほど。確かに日本の実家の母はマグロが大好物で、父は釣りが趣味である。私の祖先は肉よりも魚が好きで、はるばる釣り竿を持って日本まで辿り着いたのかもしれない。
サブルおじさん逃げる
その話を聞いて、縁もゆかりもないと思っていたキルギスに急に親近感が沸いた。ルーツは同じかもしれないのか……と感慨深く、運ばれてきた食後の紅茶をひと口、飲んだとたん、吹き出しそうになった。恐ろしく甘いのである。
「甘い! これ砂糖、何杯入っているの?」
「え? みんなと同じ5杯だけど。日本では甘くないの?」
「せいぜい1杯だよ!」
本当に大昔、兄弟だったのだろうか。きっと甘いものが好きな人はキルギスに残り、渋い味が好きな人は日本に向かったのかもしれない。
ド甘な紅茶をようやく飲み終え、私は部屋へ案内するというサブルの後をついて2階への階段を上がった。家で一番広いというダブルベッドの部屋を見せてくれたが、その部屋の壁にはニンマリほほえむ蛭子さん似の巨大な肖像画が掲げられていた。
「うちの父、キルギスでは有名な学者だったんだ」と、サブルは自慢するのだが、蛭子さんと相部屋のようで居心地が悪い。私は思わず「小さくてもいいから他の部屋はないの?」と聞いたが、サブルは「日本人は遠慮深いなあ」と笑った。
「ここは私の部屋なんだけど、他の部屋は荷物が多いんだ。シーツは後でラトミラさんが替えるから」
「え、じゃあ、おじさんは息子の部屋で寝るの?」
「余分なベッドもないから、私のガールフレンドの家に行く。家族には内緒にしてよ」
「恋人!? おじさんが出てったら、誰が家族の通訳してくれるの?」
「ノープロブレム。すぐ近くだし、毎日、様子を見に来るから! じゃあ!」
サブルおじさんは、髪をチョイチョイと鏡台の前で撫でつけるや、そそくさと、しかしウキウキと玄関から出て行ってしまった。ああ、せっかくこの中央アジアで英語ができる人に出会えたのに。まあ、朝には帰ってくるだろう。部屋には大きな窓があり、外はすでに日が落ちて暗かった。私は部屋でロシア語の辞書を広げて机に向かうことにした。
しかし、30分もしないうちに部屋のドアをノックする音が聞こえた。ラトミラさんかと思って開けると、夕食を終えたふたりのグルナラであった。
ふたりのグルナラの部屋で
グラナラという名前はキルギスでよくあるのだろう。同名でまぎわらしいので、三兄弟のいとこに当たる30代の眉毛の濃いお姉さんを「グル」、グルの同郷の友人で岸田劉生の「麗子像」に似ている20代のお姉さんを「ナラ」と呼ぶことにした。カタコトの英語とロシア語と辞書を片手にわかったのは、グルはカフェでアルバイトをしており、ナラはコンピューターの講師をしているという。
普段はキルギス語だけど、私が多少わかるように、中央アジアで共通語のロシア語で会話をしてくれたのだが、それでもそれ以上、会話が続かなかった。すると、ふたりは私の手を引っ張り、1階のふたりの部屋に連れて行った。4畳半くらいの部屋にシングルベッドが2台、置かれており、クローゼットからは洋服がはみ出している。
そして壁一面に、何十というアイドルの雑誌の切り抜きがベタベタと貼られていて、アジア系の黒髪とハリウッド風の金髪や茶髪が半々くらいであったが、眉毛が濃いのは共通していた。
ベッドの上であぐらをかきながら、グルとナラは「このイケメンが好き!」と言いあい、そして、「アヅサは誰が好きなのか」とジェスチャーした。私が知っている俳優が全くいなかったので、中央アジア周辺のスターなのかもしれない。
そこで、適当に若い時の郷ひろみ似のアイドルを指さすと、ふたりは同時に「え~!! こいつ!?」と腹を抱えて笑うのであった。
私は何がそんなに「え~!」なのか聞くと、グルは私のロシア語の辞書を開いて、「こいつは/女をだます/悪い/男」なのだと教えてくれた。それなのになぜ壁に貼っているのかわからないが、郷ひろみ似の男はいったいどんな不祥事をやらかしたのか。
「男を見る目がない」というジェスチャー
ひとしきり笑ったナラは「ん~」と言って指をちょっと動かしたが、私はその動作が「アヅサは男を見る目がないね」を意味していることが理解できた。カザフスタンでは「食べる」というジェスチャーすら通じなかったのに、案外、ガールズトークはそれとなく通じるものである。
謎だったのは、ふたりが砂糖5杯入りの紅茶をおかわりして飲んでいたのに、「痩せなきゃね」と痩せクリームをお腹にグリグリと塗りだしたことだ。そして「アヅサも塗りなよ」とすすめてくれたので、3人で腹にクリームを塗りながら、キルギスのアイドル雑誌を見てキャーキャーと言い続けて2時間が過ぎた。
私は彼女たちの会話で何度も出てきたロシア語のフレーズが気になり、英露・露英辞書を渡して引いてもらった。そしてその英訳をもとに日本語の意味と発音を書き写した。その夜のノートには「かっこいい」「(腹の)くびれ」「遊び人」「恋してる」「悪い男」「二股かけた(浮気)」「騙す」「三角の関係」などの旅ではあまり必要なさそうな単語ばかりが並んだ。
果たしてキルギス滞在中、この女子会ワードが使える日が来るのだろうかと首をひねった。しかし、人生に(ほとんど)無駄なことはないと悟った後編に続く。
文/白石あづさ
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