北海道への「単身赴任」
そこから北海道通いが始まって、シマエナガが一段落ついたら今度はモモンガに夢中になった。
そして彼は五十代に入る頃から、将来への不安を口にするようになった。経済的な話ではない。そんなことは、結婚してから悩んだことがない。全部私がどうにかすると思っていたからだ。
体力と感性が衰えることによって、自分の思う通りに写真が撮れなくなることを恐れるようになった。
私は彼に北海道への「単身赴任」を提案した。彼は、とても寂しがり屋なので、まず、
「怒らないで聞いてくださいね」
と念を押すところから始まった。
「私達、結構年をとってきて、玲さんが本当に自分の思うように写真を撮ることができる時間は、意外ともう長くないのかもしれません。だから、もし玲さんがそうしたいなら、例えば北海道に一時的に住んで、撮りたいときに写真を撮れる環境を整えてはどうかと思うんですが、いかがでしょう」
なんでそんなこと言うの、あけみちゃんは、僕を追い出したいの、とか言われたらどうしようかとびくびくしながら切り出したけれど、答えは、
「いいの? ありがとう」
好きなときに好きなように写真を撮り、自宅にも頻繁に戻り、ときには私がこちらから会いに行った。初老の夫婦の理想の形かもしれないと思った。
理想的過ぎて、幸せ過ぎて、不安になったこともある。それは的中してしまった。
病気が見つかり、網走の病院で治療を始めるまで、私達家族が次々に選択してきたのは、どれも話せば長くなることばかりで、結局、退院して一緒に乗るはずだった飛行機で、骨と一緒に帰ることになった。
最後の作品は「モモンガの巣穴」
最後の作品は動画。夜、モモンガの巣穴を撮っている。入院する二日前だ。地元に、ずっとよくしてくださった方がいらして、その方と一緒に助けていただいているから、声も入っている。
「限界です。情けない」
それに救われたと言ったら、私は悪い妻だろうか。
写真のことばかり考えていた人だから、限界まで写真を撮らせてあげることが愛だったなんて、私の自己満足だと言われたら甘受しよう。私は知っているから。ここに彼がいたら、きっと言う。
「あけみちゃん、最後まで写真家でいさせてくれてありがとう」
結局、写真に命、賭けちゃったのかなあ。
でも、私は後悔はしていない。
訂正、私達は。
小原玲(おはら・れい)
1961年、東京生まれ。茨城大学人文学部卒。写真週刊誌『フライデー』専属カメラマンを経て、フリーランスの報道写真家として国内外で活動。1989年の中国・天安門事件の写真は米グラフ誌『ライフ』に掲載され、「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれた。1990年、アザラシの赤ちゃんをカナダで撮影したことを契機に動物写真家に転身。以後、マナティ、プレーリードッグ、シマエナガ、エゾモモンガなどを撮影。テレビ・雑誌・講演会のほかYouTubeに「アザラシの赤ちゃんch」を立ち上げるなど様々な分野で活躍した。写真集に『シマエナガちゃん』『もっとシマエナガちゃん』『ひなエナガちゃん』『アザラシの赤ちゃん』(いずれも講談社ビーシー/講談社)など。2021年11月17日、死去。享年60。
堀田あけみ(ほった・あけみ)
作家、椙山女学園大学国際コミュニケーション学部教授。1964年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院教育学研究科(後期課程)単位取得後退学。81年、高校2年の時に小説「1980アイコ十六歳」で、第18回「文藝賞」を当時最年少の17歳で受賞。同作は映画やテレビドラマ化され、大きな話題に。以降、恋愛小説を中心に数多くの作品を発表し、若い世代の共感を集めてきた。作家活動とともに、大学で心理学の研究者の道を進み、2015年から現職。主な著書に、小説では『イノセントガール』『やさしい嘘が終わるまで』など、小説以外では『発達障害だって大丈夫 自閉症の子を育てる幸せ』『発達障害の君を信じてる 自閉症児、小学生になる』など。1995年、動物写真家の小原玲さんと結婚し、2男1女の母。
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『シマエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『もっとシマエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『ひなエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『アザラシの赤ちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)