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万里の長城の櫓は修羅場と化した!?

彼の体は小刻みに慄ふるえていた。おそらく2年余をかけた私たちの共同作業を思い出し、またこのさきも長く続く物語への期待に、彼は武者ぶるいをしているのであろう、と私は思った。で、心なしかおよび腰の彼の腕をグイグイと引きずって、最初の櫓(やぐら)の頂上に立った。

「タ、タバコ喫いましょう」

と、櫓の中に入ったなり、彼は禁煙の貼紙も厭(いと)わずタバコを喫った。

「浅田さん。あの、ボク、実は……」

「いや。もう言い訳はやめよう。作品の至らなかった点は、ひとえに作者であるオレの責任である。ワッハッハ、さあ、行くぞ!」

と、櫓の出口からさらに先へと身を乗り出したとたん、さすがの私もひるんだ。尾根に沿ってほとんど直角に近い階段が落ちている。麓(ふもと)からはさほどには見えなかったが、万里の長城は目のくらむほどの急勾配の階段の連続だったのである。しかも城壁の左右は寒風吹きすさぶ千尋(せんじん)の谷であった。

ワアッ、と彼は絶叫した。

落っこちたのかと思って振り返ると、彼は手すりにしがみついて腰を抜かしていた。

「どうした」

「浅田さん。ボク、実は、実は……」

「実は女か」

「そ、そうじゃない。実は……」

「実はインポか」

「ちがう、ちがう」

「カツラ?」

「ちーがーうー。ほんとは、ダメなんです。高いところ、ぜんぜんダーメーなーのー!」

ふつうの小説家であれば、恩義理ある担当編集者の苦悩をおもんぱかり、督励しつつもと来た道を引き返したであろう。しかし、私はふつうの小説家ではない。

「そうか……そうだったのか。ではこれより彼方かなたの八達嶺(はったつれい)をめざす。長く険しい道ではあるが、辛抱せよ」

言うが早いか私はヒヤッホー!と叫びつつ編集者の肩を抱え、目のくらむような直角の石段を一気呵成(いっきかせい)に駆け下りた。

「わー! やーめーろー! こわいよー!」

「死のうなー、一緒に死のうなー!」

ここだけの話だが、私は子供のころイジメッ子であった。気の毒な編集者は涙とよだれでクシャクシャになりながら、私について来た。

数時間の後、私たちは八達嶺の頂きに立った。満洲の原野が、地平の彼方まで豁(ひら)けていた。長城のつらなりは、蒼穹の尽きる果てまで、はるかに続いていた。

「俺だって、こわいよ」

と、私は言った。

人間、こわいと思えば平らな道に一歩を踏み出すのもこわい。臆病者が手を取り合って長く険しい道を行く。

男の仕事とは、そんなものだろう。

(初出/週刊現代1997年1月18日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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