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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。歌手・中森明菜の最終回は、筆者による極私的ベスト3の紹介です。2022年はデビュー40周年。シングル、アルバムともそれぞれ約50枚もリリースされてきた中から選んだ曲は―――。

自称アーティストを名乗るのは、よろしくない

アーティスト~芸術家という言葉が、これほど軽々しく使われている時代は無かった。山下達郎は、自身をアーティスト~芸術家と呼ばずにアルチザン~職人と呼ぶか、さもなければミュージシャンと呼んで欲しいと訴えている。同時に誰もがミュージシャンをアーティストと呼んだり、自分でアーティストを名乗るのを苦々しく思っている。

今ではレコード会社やプロダクションのスタッフが自らが担当するミュージシャンを“アーティストさん”と“さん”までつけて呼んでいる。実際ぼくもCDを2枚しか出していない女性アイドルと仕事をした時に、彼女がやたらに自分を“アーティストとしては…”と言うのに苦笑しそうになった。

中には、まだデビューもしていないアマチュア・ミュージシャンが、SNSなどで自称アーティストを名乗っていることすら多い。アーティストとは一種の尊称で、後の歴史がその人をアーティストと呼ぶか決めるのだと思う。どんな時代でも言葉が軽々しく使われるのは、よろしくないと頑固者のぼくは思う。

こんな書き出しをしたのは、ぼくが中森明菜のことを単なるアイドル、ミュージシャンの時代を経て、アーティストと呼べる高みに達した数少ない人と思うからだ。例えば、よく中森明菜と比較される山口百恵のことは、スーパー・アイドルだったと認めても、ぼくはアーティストだったとは思わない。

「私は風」 自身の感情の投入だけで曲に大きな山場

中森明菜はスキャンダルや年齢によって、スーパー・アイドルの座を失った。が、その類稀なる声、歌唱力によって、アーティストの称号を受けるにふさわしい存在となった。中森明菜が、ある歌を歌えば、それは声を使った表現芸術の域に達すると思う。彼女の声、歌唱表現は、1994年のアルバム『歌姫』を境に芸術の域に達した。それは、もはやアイドルの枠を超えた“歌唱”だ。

そんな中森明菜の残している数多い歌唱楽曲の中から、極私的3曲をあげるとすれば、まずはアルバム『歌姫』の中から「私は風」を選びたい。『歌姫』の中で最終曲~締めくくりとなった「私は風」は、昭和のロック・バンド、カルメン・マキ&OZの代表曲のひとつだ。原曲はスローな歌い出しから入り、徐々にロック色が高くなる構成だ。オーケストラをバックに歌った中森明菜は、ロック・ビートで曲を盛り上げることなく、自身の感情の投入だけで、曲に大きな山場を作った。見事としか言えない“歌のアーティスト”ならではの表現所作だ。

もう涙なんか枯れてしまい、明日からは身軽になって自由に生きる。ひとりぼっちさえも気軽に思える。そして、私は気ままな風と歌われる。ひとりの人間が実存を獲得する。そんなことを感じさせる素晴らしい歌唱だ。

中森明菜のアルバムの数々
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「飾りじゃないのよ涙は」 真のアーティストへの変身を予感させ...
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岩田由記夫
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