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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。歌手・中森明菜の第3回も、筆者が2回目に逢った時のインタビューで印象に残った言葉の意味を見つめます。「アイドル」から「歌姫」に。大人のシンガーへと成長していった背景とは―――。

「歌」と「恋」、どちらを選ぶのか

かつて山口百恵をインタビューした時、私生活について少し訊ねたことがある。歌と恋、究極の選択を迫られたら、どちらを選ぶかという質問だ。それに対し、山口百恵は“歌と恋や結婚生活のどちらを取るかと言われたら、間違いなく後者を取ります。私はそんなに器用じゃないから”と答えた。この時、山口百恵と三浦友和の交際は報道されていたものの、まだ結婚時期は不明だったし、ましてや伝説の引退劇は予想できなかった。

“明菜さんのいちばん好きな時間って?”というぼくの質問に対しての答えは“眠ってる間かな”と彼女は答えた。続いて“では、起きている間は?恋人と一緒の時とか…?”と訊ねた。“ウフフ。そうかも知れないけど本当は歌っているのがいちばん幸せなのか、どっちだかよく分からない。これって答えになっています?”と言った。

1988年春、当時、22歳の彼女には近藤真彦との交際が報道されていた。それをストレートに訊けないので暗にほのめかした質問をしたのだが、それをかわした答えにも思えるし、本音で歌が好きと言ったのかは分からない。そこで“もし、歌えなくなったらどうするの?例えば、悪い言い方だけど、いつか人気が落ちてCDがリリースできなくなるとしたら…?”と訊いてみた。“そうですね。それでも歌っていると思う。例えばカラオケに行って歌っても、歌は歌だし…”と彼女は答えた。

このインタビューの翌年に中森明菜は自殺未遂を起こす。近藤真彦との恋愛が破局したからと当時のマスコミに報道された。だが、ぼくはそれだけではないのでは?と思った。この恋愛に関する様々な事情が明るみになれば歌えなくなる…そう彼女は恐れていたのでは、と考えたのだ。

1989年の伝説ライヴを収めたCD『AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII』(左上)など中森明菜のアルバムの数々

1994年の伝説となるアルバム『歌姫』

1994年、中森明菜は伝説となるアルバムを発表する。タイトルは『歌姫』。現在はこのタイトルが彼女の愛称となっている。赤と紫の地に小さな花などをあしらった和服の彼女が、ジャケット裏にいる。ジャポネスクと呼べる、そのジャケットの中の中森明菜の姿は儚い浮世の歌姫そのものだった。

収められた9曲はすべてカヴァーソングだ。奥村チヨの「終着駅」、園まりの「逢いたくて逢いたくて」、由紀さおりの「生きがい」、井上陽水が作った石川セリの「ダンスはうまく踊れない」、荒井由実の「魔法の鏡」、カルメン・マキ&OZの「私は風」…、すべて悲しい失恋ソングばかりだ。歌のバックはすべてオーケストラで昭和30年代、40年代の歌謡曲と同じ録音スタイルだ。

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大人の耳を持った音楽ファンが、明菜を認めた...
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岩田由記夫
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