“京都の日本酒”、というとまず伏見。古くより酒造りが盛んで、「灘の宮水、伏見の伏水」といわれるほどの良水で知られ、全国区の酒造メーカーの名が並ぶ場所です。されど、京都は至る所が良水の地。伏見でなくても、うまい酒を醸す酒蔵が府内に点在します。そこで今回は銘酒との出合いを期待して京都の北へ向かいました。
山廃造りは丹後の伝統
やって来たのは日本海に面する京丹後エリア。米づくりが盛んなこの地では、日本酒造りにも歴史があります。訪れたのは弥栄町の田園風景の中にある『竹野酒造』。戦後に設立された酒蔵ですが、江戸後期創業の『行待酒造』がその前身です。
「かつては周辺にいくつもの酒蔵がありました。しかし食糧難で酒造りができなくなった時期があり、戦後、晴れて再開となった折に休業していた4つの酒蔵をまとめたのが私どもの先々代です」と語るのは行待佳平(ゆきまち よしへい)さん。山廃造りを復活させた〈弥栄鶴 山廃純米七〇〉や酒米の名を銘にした〈蔵舞(くらぶ)〉シリーズを誕生させてきた5代目。
「蔵人として入社した当時は普通酒の醸造一辺倒。危機感がありました。そこで純米酒を得意とする先代の杜氏とともに、丹後地域で歴史の長い山廃造りでの純米酒をつくろうと模索してできたのが〈弥栄鶴 山廃純米七〇〉なんです」
酒米を京都の推奨米〈京の輝き〉に替え、貯蔵タンクに毎年継ぎ足していく方法で熟成させる沖縄の古酒「クースー」と同じ技法で造られた琥珀色の液体は、複雑な味わいと乳酸由来の酸味が特長。
同じ頃、もうひとつ酒造りの意識を変える出来事があったそう。「国税局鑑定官の先生が酒蔵指導にきて精米所も見せてほしいと。米の味を引き出すのはそこからなのかと目が覚めた思いでしたね」
磨きで米の特徴を引き出すと味わいの違いがくっきり現れ、そこから生まれたのが主力商品の〈蔵舞(くらぶ)〉シリーズ。
地元の古代米研究家から譲り受けた一握りの〈亀の尾〉といった品種を地元農家と協力し復活させました。その後、〈旭〉〈祝〉〈祭り晴〉〈山田錦〉それらの名を冠した純米酒に仕立てています。
また、未来を見据えた商品の開発にも積極的で、長男・佳樹さんに杜氏を任せ、次男の達朗さん・三男の皓平さんも酒造りに携わるようになり、若い感性を活かしたお酒が次々と生まれています。
「日本酒にはまだまだ伸びしろがあると思います。ブレンドやワインのようなヴィンテージなど、日本酒そのものの可能性も感じている」
倉庫を見せてもらうと出荷を待つ山積みのパレットが。すべてフランスへ運ばれるものだそう。海外にも販路を拡大し、これまでの日本酒にはなかった高価格帯のラグジュアリーなボトルも好評。次はどんなイノベーションを起こすのか、今後ますます目が離せない蔵元です。
食用米から醸す日本酒。
酒造好適米を使うという常識にとらわれず、食用米を使った酒造りを行う蔵の存在を聞きやってきたのは『白杉酒造』。伝承の酒〈白木久〉で知られ、1777(安永6)年から約250年の歴史をもつ蔵元です。
11代目・白杉悟さんが杜氏になり最初の酒造りとして携わったのは、地元消費のレギュラー酒〈白木久〉を生まれ変わらせること。
「京丹後のお米は感動するほどおいしいんです。なんとかこの米のおいしさを酒で表現できないか。ご飯で醸す酒を造りたい、そんな想いが強くありました」
酒米より粘りの強い食用米に苦戦しつつ、5年ほど試行錯誤を重ねてきたそう。そうして2015年からは〈白木久〉も含め全量を食用米に切り替えた酒造りを行っています。同年には最高の食中酒をコンセプトにしたササニシキ100%の〈銀シャリ〉もデビューさせます。
まだまだ白杉さんの挑戦は続き、通常は焼酎造りに使用する黒麹での酒造りがスタート。酸味を活かした酒を造りたいという好奇心から生まれた〈ブラックスワン〉やキレのよい〈shirakiku BLACK LABEL〉が誕生。コシヒカリに白・黒・黄と3種の麹と酵母をブレンドした〈キメラ〉など毎年のように新作を送り出しています。
“お米の種類や磨き、麹、酵母の組み合わせで日本酒の味わいは無限に広がる”、そんな日本酒の未来を感じさせてくれる酒蔵の姿がありました。