親子のマナティを独り占め
マナティはフロリダの川で撮影する。海では個体を探すのは一苦労だが、大きく入り組んだ川を行き来しているときには、特定の場所で張り込んでいれば、そこを通りかかるのだ。寒さに弱いので、冬場には一定の温度で湧き出す泉のある川に来るという。だから、撮影時期は冬と決まっていた。冬でも半袖で大丈夫な地域なので、水に潜ることにも抵抗はない。
以前にも触れた通り、小原は父親としては頑固というか、絵に描いたようなくそ親父だった。長男が中学一年の年、父と息子の関係は最高に拗れまくって(と、当時は思っていた。その後、もっと拗れるとは知らず)、どうにかしたいと考えた夫が行き着いたのが、
「冬休みにマナティ見に行かない? ついでにディズニーワールドにも行こう」
それは魅力的な提案だが、結構な出費でもある。
「ボーナスあるじゃん?」
そうなのだ。私は、この年にようやく非常勤暮らしに見切りをつけて、専任の大学教員になったのである。だから夏冬ボーナスが出る。ちなみに、夏のボーナスは中古のエスティマを買うのに使った。これが、小原の最後の相棒になって、日本中を走り回った。
大きな出費ではあるが、また働けばいい。今を逃せば、小原の子どもをマナティに会わせるタイミングはいつ来るかわからない。何より長男は真斗(まなと)、マナティに因んで写真から文字をとって命名された子だったから、会わせないわけにはいかないのだ。終業式の翌日から一週間、アメリカに行くことにしたが、インターネットで現地の天気予報をチェックして、私は彼に訊いた。
「フロリダって、こんなに寒かったですか?」
「うん。やばいね。何しろ、真斗だからなあ」
長男は異常気象を呼ぶ子どもだった。アザラシの取材場所であるセントローレンス湾・マドレーヌ島に初めて流氷が来なかったのは、彼が生まれた年である。流氷がない、なんて状況は想像もしてなかったから、平常運転で親子三人で現地入りしたが、赤子をアザラシの赤ちゃんと遊ばせるどころの話ではなく、普通にアザラシウォッチングができなかった。長男には、海水温が高くなる現象の「エルニーニョ」と渾名がついた。早々に島を後にして、帰国便を待つ間、カナダ観光をしたが、ここでもナイアガラで濃霧に遭い、音はするけど滝は見えない、という事態になった。
結果、フロリダは私達が滞在した一週間のみの大寒波となる。農業における甚大な被害が新聞の一面に取り上げられるほどだ。ディズニーワールドで買った風船は寒過ぎて萎み、早朝に船を出そうとしたら、川面から露天風呂のように湯気が立ち上る気温である。家族全員ウェットスーツでシュノーケリングしようという予定は変更した。念のために日本から持って行った二着のドライスーツを夫と長男が着て潜り、私達は船上から見ている。当時七歳の長女は不満そうにしていたが、マナティ、特に子どもは船の艫綱(ともづな)が好きで、停泊していると向こうから寄って来る。哺乳類で肺呼吸をするから、水面にも上がってくる。船から手を伸ばせば触ることもできるのだ。遊んでもらっているうちに、機嫌が良くなった。
観光客で一杯の背が立つスポットでしばらく慣らしてから、小原とっておきの深い場所に移動する。折好(おりよ)く、ここで親子のマナティに会えたので、長男は彼らを独り占めして、二時間ほど夢中で戯れていた。どれくらい夢中だったかというと、途中、小原がカメラの不具合で何度も舟に戻ったことに気づかなかったほどである。
ここで、長男は自分の命名理由を朧げながら把握できたと言った。