最後のアザラシ取材で撮った写真
長女の方は、タテゴトアザラシである。琴子という。彼女が一歳のとき、家族全員でマドレーヌ島に行った。それきり、子ども達はアザラシに会っていない。兄達には幼少期の記憶があるが、娘は写真でしかアザラシを知らない。シマエナガよりエゾモモンガより、タテゴトアザラシの赤ちゃんこそが、一番可愛い生き物だと思っている彼女には、いつか本物に会わせてあげたいと思い続けてきたのだが、小学六年生のときに計画を立てたら、その年は流氷がなかった。高校一年の三月、本人の同意も得て、父親と二人のカナダ旅行が実現した。私達は本来、学校を休ませて、どこかに連れて行くことを是としていなかった。だが、アザラシだけは別格で。お前達のスタンダードはどこにあるのだと言われたら、小原玲の子だから行かなければいけないのだと、答えにならない答えを返すのみである。
それが小原玲の最後のアザラシ取材になった。死ぬ間際まで、あのとき、琴子と二人の旅ができて良かったと繰り返した。氷上でアザラシと向き合って、涙をぽろぽろと零した娘の写真が送られてきた。
彼女は最小限の欠席で学年末試験に臨む予定だったのだが、カナダ滞在中にコロナによる一斉休校が決まった。幸か不幸か現地の天候も荒れて飛行機は飛ばず、彼女は心置きなく滞在を延ばして、現地の友達との時間を楽しんだ。
それが、友達と遊びたいのに、日本からきたお客様(彼女にとっては、面識のない大人)に会わせたいとか、工場や博物館の見学に行こうとか誘いに来る父とのバトルを招いたりもしたのだが。
「せっかく島にいるんだから、いろいろ見とかないと損じゃないか」
という夫のLINEには、
「あの年頃の女の子には、友達との時間が一番大切なんですよ。島の子だと、今度いつ会えるかわからないし」
と子どもに言うように言い聞かせた。
それに彼女はきっと目に焼き付けている。写真を撮る父の背中を。
その昔、二人きりの取材で私がそうしてきたように。
長男はマナティから、長女はタテゴトアザラシから、次男は……
大切な被写体の名前をつけた長男と長女の話をしたが、じゃあ次男はと言うと。
彼の愛した被写体の住む場所を。
海斗、と言います。
小原玲(おはら・れい)
1961年、東京生まれ。茨城大学人文学部卒。写真週刊誌『フライデー』専属カメラマンを経て、フリーランスの報道写真家として国内外で活動。1989年の中国・天安門事件の写真は米グラフ誌『ライフ』に掲載され、「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれた。1990年、アザラシの赤ちゃんをカナダで撮影したことを契機に動物写真家に転身。以後、マナティ、プレーリードッグ、シマエナガ、エゾモモンガなどを撮影。テレビ・雑誌・講演会のほかYouTubeに「アザラシの赤ちゃんch」を立ち上げるなど様々な分野で活躍した。写真集に『シマエナガちゃん』『もっとシマエナガちゃん』『ひなエナガちゃん』『アザラシの赤ちゃん』(いずれも講談社ビーシー/講談社)など。2021年11月17日、死去。享年60。
堀田あけみ(ほった・あけみ)
作家、椙山女学園大学国際コミュニケーション学部教授。1964年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院教育学研究科(後期課程)単位取得後退学。81年、高校2年の時に小説「1980アイコ十六歳」で、第18回「文藝賞」を当時最年少の17歳で受賞。同作は映画やテレビドラマ化され、大きな話題に。以降、恋愛小説を中心に数多くの作品を発表し、若い世代の共感を集めてきた。作家活動とともに、大学で心理学の研究者の道を進み、2015年から現職。主な著書に、小説では『イノセントガール』『やさしい嘘が終わるまで』など、小説以外では『発達障害だって大丈夫 自閉症の子を育てる幸せ』『発達障害の君を信じてる 自閉症児、小学生になる』など。1995年、動物写真家の小原玲さんと結婚し、2男1女の母。
■カメラマン故小原玲 メモリアル写真展「モフモフ wa カワイイ」天国からの贈り物
期間:11月24日~30日(26日と27日は休館)
会場:セレモア紀尾井町本社セミナー会場(東京都千代田区紀尾井町3-12紀尾井町ビル6階)
時間:10時~17時
入場料:無料
【小原玲さんの関連グッズ】
動物写真家・小原玲さんが撮影したシマエナガやアザラシの赤ちゃんのカワイイ作品がプリントTシャツになった!(購入はコチラから)https://kodanshabc.base.ec/