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ずっと“ヤマハ”にこだわり続ける 創業者・川上源一の言葉

その自信が熟成したのか、23歳の年、1975年春のヤマハ音楽振興会主催による『第9回ポピュラーソングコンテスト』に出場、「傷ついた翼」で入賞。今度はレコード会社の誘いを断ることなく、キャニオン・レコードから「アザミ嬢のララバイ」でデビューした。中島みゆきはデビュー以来、ずっと“ヤマハ所属”を続けている。

ヤマハ音楽振興会は、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代社長で、エンジンやオートバイなどで有名なヤマハ発動機の創業者でもある故川上源一によって、1966年に設立された。筆者はヤマハ音楽振興会が主催し、三重県にあるリゾート施設「合歓(ねむ)の郷」で開催されるJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)のオブザーバーとして、1980年代中期に何度か招かれた。

その打ち上げには川上源一が登場し、出席者と会話していた。筆者も川上源一と話す機会があり、中島みゆきのことも話をした。その折、川上源一は“中島みゆきをよろしくお願いします。彼女は私の娘のひとりみたいな存在なのです”と語っていたのを思い出す。

その意思をくんだのだろう、中島みゆきはヤマハ音楽振興会の理事に名を連ねている。中島みゆきほどのビッグネームともなれば、高額で移籍を誘うプロダクションがあってもおかしくない。それでも、デビュー以来、ずっと“ヤマハ”にこだわり続ける中島みゆきに、人としての義理の通し方を感じる。目をかけてくれた人は裏切らない。それは中島みゆきの思う“人間の条件”なのだと思う。

中島みゆきの名盤の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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