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3世紀、ローマ帝国・皇帝クラウディウス2世の時代

答えは(3)です。2月14日は、ローマ皇帝の迫害により、聖ウァレンティヌスが処刑された日だとされています。

バレンタイン・デーの原型は、古代ローマにおけるルペルカリア祭だとする説があります。ローマでは、2月14日は結婚の女神ユーノーの祝日でした。そして翌2月15日からは豊穣を祈願するルペルカリア祭が行われました。ルペルカリア祭では、未婚の男女がくじ引きでペアとなり、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。それを機にそのまま結婚する男女も多かったそうです。しかし5世紀になり、若者の風紀を乱すとしてローマ教皇グラシウス1世によってルペルカリア祭は廃止され、代わりにバレンタイン・デーが創設されました。そこには以下のような言い伝えがありました。

3世紀、ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世は、故郷に愛する人を残していると兵士の士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止していました。キリスト教の司祭だったウァレンティヌスは、兵士たちを不憫に思い、ひそかに多くの兵士たちの結婚式を行っていました。そのうわさを耳にした皇帝は怒り、二度とそのような行為をしないよう命じ、改宗を迫りましたが、ウァレンティヌスはその命令に従わなかったため、最終的に西暦269年2月14日に処刑されました。処刑の日は2月14日があえて選ばれ、ルペルカリア祭に捧げる生贄とされたそうです。その後、人々はウァレンティヌス司祭の勇敢な行動をたたえ、2月14日を聖バレンタインの日として祈りをささげるようになったといいます。

それから1000年以上経った14世紀、有名なイングランドの詩人ジェフリー・チョーサーの詩「百鳥の集い」に、バレンタイン・デーの記述が見られます。この頃にはバレンタイン・デーは恋人たちの日として、贈り物を交換する風習が見られたようです。

2月14日には、悲しい背景が…
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ローマ帝国で初めてキリスト教を信仰した皇帝...
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圓岡太治
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