ローマ帝国で初めてキリスト教を信仰した皇帝
ウァレンティヌス司祭を処刑した皇帝クラウディウス2世は、ガリエヌス帝を暗殺し、西暦268年に帝位につきました。ドナウ川地域に侵攻するゴート族を破り、多数のゴート人を傭兵やコロヌス(小作農民)とした功績で、ゴティクス(ゴート人征服者の意)の異名を得るなど、人々からの信望は厚かったようです。
ところがクラウディウス2世は陣中で疫病にかかり、270年1月に亡くなりました。したがって帝位についていたのはわずか2年に満たないことになります。ウァレンティヌス司祭の伝承が史実であれば、彼はこの短い期間に殉教したことになります。もしその間にウァレンティヌス司祭の行いがクラウディウス2世の耳に入らなかったら、あるいはその期間にウァレンティヌス司祭がもう少し行いを控えていとしたら、司祭は処刑されることも、また後世にバレンタインの日としてその名を残すこともなかったかもしれません。
ちなみに、4世紀にそれまで複数の皇帝によって分割統治されていたローマ帝国を再統一したことで有名なコンスタンティヌス1世は、クラウディウス2世の後裔(これは史実ではないとする見方もあります)を名のったといいます。ところがこのコンスタンティヌス1世は、ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した人です。ウァレンティヌス司祭に改宗を迫って処刑したクラウディウス2世の子孫が、ローマ帝国で初めてキリスト教を信仰した皇帝だったとすれば、なんという歴史の皮肉でしょうか。
これらが史実だとしても、そうではない偶然の一致だとしても、このようにストーリーが絡み合ってくるところが、歴史の複雑さの織り成す不思議さを感じさせます。
人類の長い歴史の中では、さまざまな戦争、迫害、その他無数の悲劇が繰り返されてきました。今現在もいくつもの国を巻き込み戦争が進行中です。このような歴史に思いを馳せ、本命チョコだろうと、義理チョコだろうと、この平和な日本で生きていられることの幸せを噛みしめながら、バレンタイン・デーのチョコレートを味わいたいと思います。もちろん、誰かチョコをくれる人がいたらの話ですが。