音楽の達人“秘話”

シーナ&ロケッツ結成の1978年、初めて逢った鮎川誠が発した言葉 音楽の達人“秘話”・鮎川誠(2)

「ロック好きは皆オレの友達やけん」 シーナ&ロケッツ、エルヴィス・コステロのライヴを観たぼくは、招聘元の麻田浩氏のおかげで東京は一ツ橋の日本教育会館、渋谷の西武劇場(後のPARCO劇場)の楽屋を訪問できた。すでにインタビ…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。鮎川誠の第2回は、シーナ&ロケッツが結成した1978年当時のエピソードを振り返ります。英ミュージシャンのエルヴィス・コステロの東京公演で前座を務め、楽屋に戻った鮎川誠に筆者が声を掛けると……。

シーナ&ロケッツ結成以前、サンハウス時代から意識

鮎川誠のことを初めて強く意識したのは、シーナ&ロケッツ結成以前、サンハウスに所属していた頃だ。教えてくれたのは当時、ビクター・レコードでアルバイトとしてアシスタント・ディレクターをしていた高垣健氏だ。後にサザンオールスターズをプロデュース、デビューさせた高垣氏は、サンハウスをビクター・レコードから再デビューさせたがっていた。

当時、サンハウスはテイチク・レコードに所属していたが、ほとんど無名だった。まだ、博多から登場したロック・ミュージシャンを指す“めんたいロック”という言葉も生まれていなかった。高垣氏が聴かせてくれたのは1978年春に発売されていた『ドライヴ・サンハウス』というライヴ・アルバムだった。

シーナ&ロケッツの名盤の数々。右端が、初のカバーアルバム『LIVE FOR TODAY!』。シーナが亡くなってから5年後の命日(2020年2月14日)に発売された

来日したエルヴィス・コステロの前座に登場

鮎川誠と初めて逢ったのは、ぼくがサンハウスに興味を持った年の晩秋、1978年11月のことだ。彼はサンハウスを解散して、活動拠点だった博多から妻のシーナと共にシーナ&ロケッツを結成して、東京に進出したばかりだった。シーナ&ロケッツは初来日したエルヴィス・コステロの前座としてステージに登場した。エルヴィス・コステロのステージも素晴らしかったが、それと同じく、シーナ&ロケッツのステージが良かった。この時ぼくは当時50万部近い発行部数を誇った『FMレコパル』という音楽&オーディオ誌の依頼で、エルヴィス・コステロのインタビュー記事を書くことになっていた。

今では大スターのエルヴィス・コステロだが、当時の日本ではまだ無名の存在だった。ただ、1978年春発売のセカンド・アルバム『ディス・イヤーズ・モデル』が全英チャート4位となり、イギリスではスターの階段を上り始めていた。日本ではエルヴィス・コステロも上京したばかりのシーナ&ロケッツも無名だったので、観客の入りは7~8割だった。この時、エルヴィス・コステロは日本で名をあげようとトラックの荷台に学生服姿で乗り、銀座のど真ん中で大音量でゲリラ演奏をして、わずか15分ほどで警官に止められた。この“事件”は新聞、テレビなどでそれなりに報道されている。

鮎川誠(右)と筆者・岩田由記夫。ラジオ収録の際のインタビューで記念撮影。2019年12月、東京都内のスタジオで

「ロック好きは皆オレの友達やけん」

シーナ&ロケッツ、エルヴィス・コステロのライヴを観たぼくは、招聘元の麻田浩氏のおかげで東京は一ツ橋の日本教育会館、渋谷の西武劇場(後のPARCO劇場)の楽屋を訪問できた。すでにインタビューを終えていたエルヴィス・コステロに逢うための楽屋訪問だった。日本教育会館の楽屋でライヴを終えた鮎川誠と初めて会話した。楽屋は混んでいて、ぼくも胸に記者証など付けてはいなかったので、鮎川誠はぼくをライヴの関係者だと思ったようだ。

鮎川誠(右)と筆者・岩田由記夫 。2022年6月、東京都内の音楽之友社の視聴室で

ライヴが素晴らしく良かったとぼくが声を掛けると鮎川誠は“あんた、どこの人”と言った。ぼくは『FMレコパル』という雑誌でエルヴィス・コステロの記事を書くためにここにいると答えた。

“ああ、レコパルなら知っちょるよ。あんた、オレらのことも記事にしてよ”

鮎川誠はそういった。

“ところであんた、コステロのことを記事にすんなら、ロックは好きなんやね?”

楽屋は忙しかったので、そう長い時間は話せなかった。サンハウス時代は上京してライヴをしたが観客はあまり入らなかったこと、B.B.キングやマディ・ウォーターズ、チャック・ベリーなどアメリカン・ロックのルーツ・ミュージシャンの話もした。

“あんた、音楽評論家だけあってロックに詳しいんやね。オレらも東京でロック好きに一発かましちゃるから、また逢おうね。何て言ったってロックは最高やから、ロック好きは皆オレの友達やけん”

そんな会話で鮎川誠との初対面は終わった。この会話の時点でサンハウス結成からすでに8年。今思えば鮎川誠はロッカーとしては円熟期に入っていたのだ。しかし、ぼくが本格的に鮎川誠にインタビューできたのは1980年に入ってからだった。

前年、1979年12月に発表したセカンド・シングル「ユー・メイ・ドリーム」が、当時大人気だったイエロー・マジック・オーケストラ~Y.M.Oの細野晴臣がプロデュースしたこともあって、話題になったからだ。

左上がアメリカで1981年にリリースされた『SHEENA & THE ROKKETS IN USA』。右下はセカンドアルバムで1979年発売の『真空パック』。細野晴臣がプロデュース、坂本龍一や高橋幸宏も参加している。ヒット曲「ユー・メイ・ドリーム」収録

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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