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大河ドラマ『どうする家康』で、再びその生涯に注目が集まる徳川家康。では彼が人生でもっとも長く暮らした街は? それは故郷の愛知県岡崎市でも幕府を開いた江戸でもなく、実は駿府(静岡市)だ。家康が愛した街・静岡市で、徳川ゆかりの場所を散策しよう。

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静岡市に点在する、家康の足跡を辿って

1542年、貧しき小国・三河国(愛知県東部)の岡崎城主・松平氏の子として生まれた家康。やがて天下人として生涯を終えるまで、人生の約3分の1に当たる25年間を駿府で過ごした

親元を離れて、人質として今川義元の本拠地・駿府で育った、数え年8歳から19歳の少年期。45歳から49歳にかけては、駿河国(静岡県中部)などを治める大名として駿府城を居城にした。幕府の将軍職を息子の秀忠に譲ったのち、66歳で駿府城にカムバック。1616年に75歳でこの地にて亡くなるまで、大御所として政治を動かした。

だがその後、現在に至る400年の間も、家康の御霊は静岡にあった。「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野(栃木県)の日光山に小堂を建てて勧請せよ」。家康の遺言で、遺体は駿河湾を臨む久能山に埋葬された

また秀忠と33代将軍・家光の寄進で、家康を「東照大権現」として祀る『久能山東照宮』の整備が進められる。家康が久能山を選んだ理由は、一説では、死後も江戸の西で豊臣恩顧の西国大名に睨みを利かせるためだったとされている。

その『久能山東照宮』に詣でるには、江戸時代より1159段の石段を登るしか手段がなく、参拝者泣かせだった。しかし1957年には、日本平と久能山を結ぶ「日本平ロープウェイ」が開通。そして日本平側の駅近くに2018年に開業した新名所が、『日本平夢テラス』だ。晴天時に展望フロアに上がれば、目の前に富士山。家康が見たら、きっとさらに静岡を好きになったはず。そう思える絶景なのだ。

そして家康が大御所として隠居した駿府城の跡地が『駿府城公園』。ここを中心に街区が整備された。17世紀初期、江戸の人口15万に対し、駿府は10万。いかに家康の威光で街が繁栄したか伝わる記録だ。

また『駿府城公園』内にある「竹千代手習いの間」は、少年期の家康の勉強部屋を再現した空間。実は人質とは名ばかりで、家康は今川義元に期待され、英才教育を施されたとのエピソードも残る。幼い頃から義元に目をかけられたからこそ、家康は天下一の名将となり、また駿府は彼にとって、愛すべき場所になったのだ。

他にも見ておきたいのが、世界遺産に登録された『三保松原』。富士山の絶景を誇り、家康もたびたび訪れた地だ。また『静岡浅間神社』は、家康が義元を烏帽子親として元服式を行ったと伝わる場所。のちに家康を祭神として祀り、江戸時代を通じて徳川幕府の祈願所として手厚い庇護を受けた。現在、境内では『どうする家康 静岡 大河ドラマ館』が開館中。全国から多くの歴史・大河ファンが訪れ、おおいに賑わっている最中だ。

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久能山東照宮〜天下人・家康を主祭神として祀り、国宝を有する神...
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