歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」(1)ソロモン王はシバの女王の香辛料を目当てにいいよった

エッセイスト・翻訳家の夏坂健さんは、ゴルフの達人であるだけではなく食通としても知られ、1983年に、古今東西の偉人たちの食に関するエピソードを集めた『美食・大食家びっくり事典』を著している。この本のカバー折り返しには、美食家で料理人としても知られた俳優・故金子信雄さんが、フランス王妃マリー・アントワネットの有名な言葉「パンがなければお菓子をお食べ」を引いて、「パンが不味ければこの本をお読み」と書いている。 ローマの皇帝たちは、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案何人の手引きで、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集をぜひご堪能ください。

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第1章 絶命するまで啖(くら)いつづけた男たち 

肥満が何だ、栄養がどうした。

美味なるものを死ぬほど食べる。

これが生きることの悦楽の極致。

古今東西の食の殉教者たちの垂涎のものがたり。 

(1)ソロモン王はシバの女王の香辛料を目当てにいい寄った

ソロモン王も暴君ネロも、歴史に登場する専制君主たちはなぜ揃いも揃って想像を絶する大食家なのか?

餓死するくらいなら、私は消化不良で死にたい――キケロ――

いつ、次の食事にありつけるかわからないとしたら、とりあえず目の前にあるものを腹一杯食べておこうとするのは当たり前の行為だろう。流通機構も冷蔵庫もない時代、人間は飢餓の恐怖におびえながら暮らしていた。

われわれの祖先は、おそらく想像する何倍もの大食漢であったにちがいない。なにしろ自分の胃袋がいちばんたしかな食糧貯蔵庫なのだから。

『飽満は仮死』と古代ローマの詩人オビディウスはいっているが、このころにはかなり物資が満ち足りていたから言えたことで、バビロニア帝国からもっと先を眺めてみると、人々が絶命するまで啖(くら)い続けることなど珍しくもない話だった。

たとえば、歴史に残る最初の宴会好きはといえばソロモン王だが、人並みはずれた食いしん坊の彼がシバの女王を誘惑したのは、間違いなく彼女が所有していた香辛料目当てであった。それが証拠に、二人の仲がアツアツになったころから、ソロモン王の宴には多くの香辛料が用いられるようになっている。

彼は父ダビデに代わって、神の安息所を建てるという偉業をなし遂げているが、これも仔細に眺めてみると、自慢の香辛料をたっぷりと使った宴会の合い間に手がけた二次産業的事業のようである。

なにしろ〈ソロモン大王の酒宴〉といえば、招かれる会食者は数千人、夜明けとともに会場のあたり一面、消化不良の死人が点々と倒れていた。それらの死人を埋めるのが宮廷給仕のその日の最後の仕事であった。

暴君で聞こえたネロも宴会が大好きで、こちらは7昼夜ぶっ続けのロングランが得意だった。酒池肉林の7昼夜のあいだに、飽食と急性アル中のため〈馬車で5台分〉の死人を宴席から運び出したという記録がある。

クレオパトラの真珠のドレッシング

クレオパトラの時代になると、大食は正直や誠実と同じ美徳として扱われた。男の大食漢は、豪放、闊達、精力絶倫の象徴であったし、女の大啖いは、母性愛、官能、安産、好色のシンボルだった。男たちは胃袋の巨大な女を求めたものである。

クレオパトラといえば、彼女が主催した晩餐の席で不足を訴えた者がいた。怒ったクレオパトラは、豊かな胸を飾っていた真珠の首飾りを千切ってサラダの中に投げ入れた。

それ以来、真珠を酢で溶かしたドレッシングには媚薬的な効果があるといわれている。愛する殿方のために秘蔵の真珠を溶かし食べさせようとする女は、いまの時代、皆無である。

真珠のドレッシングはともかくとして、世の女性たちに学んでほしいクレオパトラの長所は、愛する男に対する心遣いの絶妙さだろう。

空腹のアントニオが宮殿に戻ったとき、ちょうど食べごろの肉が焼けているように、彼女は1時間ごとに新しい肉を焼かせていたのである。いうまでもないことだが、見習ってほしいのは精神的な面だけで、浪費癖のほうはご免こうむりたい。

古代ローマの詩集『サディアス』の中に、娘が青年騎士に愛を打ちあけるところがあって、

  『私は可愛い大食家

  鱓(うつぼ)の丸焼き20匹

  仔豚の肝臓5つ半

  たらいに2杯のえびとかに

  食事のあとでどっさりと

  ナビのお山を馬車に乗せ

  森の奥へと走ります』

というラブレターが紹介されている。ナビとはウンチのことだからあきれたものだ。

当時大食と快便は魅力のセールス・ポイントであった。

(本文は、1983〈昭和58〉年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典Kindle版』夏坂健(講談社)

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフに関するエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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