夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」(4)先住民の逆襲ですよ!

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。 「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第4回は、ゴルファーにとっては聖地ともいえるセントアンドリュースのオールドコースが、とんでもない厄介事に襲われた顛末について。

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第lホール パー5 意のままにならぬゲーム

その4 先住民の逆襲ですよ!

「ゴルフの聖域」大量発生したのは?

異変に気づいたのは、ラフの中に転がって2人だけの世界に没頭するアベックだった。人が徘徊するはずもない深夜だというのに、大勢から見られている気配がしてならない。そこでこわごわ視線をめぐらせた女性が、

「キヤーッ」

と悲鳴をあげた。闇の底におびただしい数の赤い目玉が蠢き、2人を取り囲んでいたのだ。

記録によると、セントアンドリュース市に最初の異変がもたらされたのが1796年12月。翌年には、実に100件余の苦情が寄せられる事態となった。当時の図書館長、トーマス・メルフォードが書き残した『リンクスの風物誌』によると、異変の多くは密会者からの通報だった。察するに、まだモーテルのない時代、いまでこそ「ゴルフの聖域」として深く崇められるオールドコース一帯も、どうやらアベックにとって恰好の星空ベッド、夜な夜な大賑わいだった様子が窺える。

1798年になると、ついに市議会でも取り上げる騒ぎに発展、ここにマスコミまで加わって、「ウサギによるリンクス占拠事件」が一挙に表面化する。

市が派遣した調査団の報告によると、夜行性の連中が深夜に跳ね回る光景は、バッタの大量発生に似て不気味の一語に尽きた。その数、10000と報告する者、いや20000羽以上と主張する者、まちまちだったが、先のメルフォードは次のように書いている。

「どちらの数字も間違いではない。何しろ連中の繁殖力たるや絶大、10ヵ月で数字が倍にふくれて、どこに不思議があろうか」

この騒ぎによってアベックは場所の移動を余儀なくされたが、次に悲鳴をあげたのがゴルファーである。

オールドコース界隈で最初にゴルフが行われたのが15世紀初頭、市有地だったこともあって、誰もが自由に歩き回り、牧畜、狩猟、フットボール、アーチェリー、ときにバーベキューを楽しむ家族の姿も見られた。

ゴルフも同様、好きな連中が集まって平坦な場所に穴を穿ち、週末ともなると1番ティに行列ができるほどの賑わいだった。当時のホールは長くても50ヤードそこそこ、多くは30ヤード前後にすぎなかったため、打球事故の心配はゼロ。ゴルフというよりも、限りなくゲートボールに近い遊びが数世紀も続いた。

ところが、ここに至ってコースは惨憺たる有り様、ウサギが掘った巣穴によって歩くことさえおぼつかない。まして水とボールは低いところに集まるのが原理、ショットは例外なく巣穴に呑み込まれてしまうのだ。臆病な彼らは、より深く穴を掘って身を隠すため、落ちたボール捜しもままならない。

1798年の報告書によると、侵入してきた人間の手に嚙みついたウサギもいたらしく、「ボール捜しには多くの危険が伴う」と、警告まで書き添えられている。

なぜ、異常なまでにウサギが大量発生したのか、これには歴とした理由があった。古くから宗教都市、学術都市として栄えたセントアンドリュース市の弱点が税収不足。宗教も学問も、お題目は立派だが税金となるとビタ一文払わない。

一方、道路整備と上下水道に膨大な支出を迫られる市は、ついにたまらず、1732年に一部市有地を「19年間、183ポンド」でジョン・カークに賃貸する。さらに期限が切れた1751年、養兎場経営者のジェームズ・ラムズデンに同じ条件で貸すと、1780年には商人チャールズ・デンプスターに「806ポンド」で売却したのである。このころには財政逼迫、背に腹は替えられない事態だった。

3年に及ぶ「ウサギ裁判」の結果は?

ご存知の通り、スコットランドにおけるウサギの地位は、アメリカのチキン並み。太古から焼く、煮る、塩にまぶして乾肉にする、さまざまな形で食卓に供されてきた。とくに好まれたのがウサギのシチューである。

たとえば、ゴルフを広めた最大の功労者として知られるスコットランドのスチュアート王家では、決まって来賓用の正餐メニューにこれが登場、1695年にフランス皇太子を迎えたときの献立には、実に五種類のウサギ料理が並べられた。

日常的に野生の肉を食べるヨーロッパでも、この珍重ぶりは奇異に思われたらしく、オランダの詩人アーテル・ネイデランドも『スコットランド紀行』の文中、次のように書いている。

「彼らのウサギに対する偏愛ぶり、尋常ならず。茂みの至るところ、罠に満ちて危険なり」

逃げ足が速い獲物だけに、味覚以上の価値が加わったと指摘する史家もいるが、養兎場の出現も膨大な需要あっての話、当時としては画期的なニュービジネスの登場だった。

さて、1780年に土地を買った商人デンプスターは、下請け業者に飼育をまかせる傍ら、さまざまな種類のウサギを買い入れて新種交配まで試みる熱の入れよう。必然、猛烈な勢いの繁殖はとどまるを知らず、檻から溢れる状態になった。

彼は多少のウサギが脱走したと語っているが、実は持て余した挙句、夜陰にまぎれて檻の扉を開け放ったと証言する使用人が現われた。彼はのちに始まった裁判の席上、次のように語った。

「親方は酒代をくれながら、こう言いました。

『家に帰るとき、檻のカギを閉め忘れてくれ。1ヵ月ほど忘れろよ』

『そんなことしたら、大事なウサギが1匹もいなくなってしまいます』

『バカ! このところ増えすぎて、肉の値は下がる一方だ。エサ代を考えてみろ、100つがいほど残せば、すぐに増える』

そこで仕方なし、少し扉を開けた状態で帰宅したところ、1ヵ月なんて冗談じゃない、ひと晩で1つの檻が空っぽになりましたよ」

この証言によって、突発的異変の真相が明らかになった。恐らく一夜にしてセントアンドリュースはウサギで溢れたのだ。

1802年には、ほとんどプレーが不可能になったばかりか、手当たり次第に毒薬をまいたため、飼い犬がバタバタ死んで損害賠償の訴訟まで起こされる事態となった。

ここに至ってクラブ側もたまらず、14人の理事が原告に名を連ねて、養兎業者3人を告訴したのである。

裁判は3年に及んだが、その間に呼ばれた双方の証人54名、まさに火花散る法廷戦争が続いた。その中にはプロの始祖アラン・ロバートソンの祖父で、セントアンドリュースのキャディ頭、ジョージ・ロバートソンによる興味深い証言もある。

「わしが1ヵ月にわたって巣穴を勘定したところ、驚くなかれ、1197個を数えた。1つの巣穴には子供も含めて5~6羽が常識、コース内に限ってさえ1万羽近いウサギがいる気配だね。もちろん、プレーはしばしば中断、このままではコースの存続さえ危ぶまれる状態だ」

まさに、オールドコースは滅亡の寸前だった。そのとき、1人の弁護士が古い記録の中から、「リンクス内で捕獲したウサギは食べてもよろしい」と書いた大司教の証文を発見。それっとばかり500人もの市民を動員して、あまねく先住民を平らげてしまった。

「本来、住む権利は彼らにある」

何人かの識者が唱えた声も、エゴ優先の耳に届かず、物言えぬ彼らは人間サマの胃袋の中に消えていった。

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

『ナイス・ボギー』 (講談社文庫) Kindle版

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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