夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」(6)ゴルフの「イソップ物語」

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第6回は、イソップ物語の寓話のひとつ、「金の斧」を想起させる男の話。ただ、「金の斧」と違うのは、斧ならぬクラブを池に落したのではなく、自ら放り込んでいたということ……。

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第lホール パー5 意のままにならぬゲーム

その6 ゴルフの「イソップ物語」

4年連続「最もマナーの悪いプロ」第1位

短気といって、彼ほど瞬時に切れる男も稀だった。20年近いツアー生活中、彼がぶん投げ粉砕したクラブは数百本。ドライバーからパターまでが森に消え、湖に投げ込まれ、大地に叩きつけられた。それらを回収して並べたならば、プロショップの2~3軒はゆうに開店できたはずである。

年1回、全米ゴルフ記者会では、投票によって年間最優秀選手から人気コースまで、さまざまなジャンルのベスト10を選出する。そのとき座興に「ワースト10」も選ばれるが、驚くなかれツアープロのトミー・ボルトは、1957年から60年までの4年間、連続して「最もマナーの悪いプロ」の第1位にランクされた。

1958年の全米オープン覇者だけあって、彼のクラブ投げの妙技も堂に入っていた。怒りのエネルギーが蓄積され、いよいよ爆発する段になると、まず顔面が紅潮し、次に低く唸り声が響いたあと、

「えい、畜生!」

手から放たれたスチールシャフトのクラブは陽光に輝いてキラキラと宙に舞ったが、その光景は「20世紀的ブーメラン」と書いた記者もいる。言うまでもなく、彼ほどたくさんのクラブセットを消費したプロもいなかった。1959年には年間で27セットも補充したと語っている。

「無鉄砲に投げるわけではない。ヒステリーにもコツというものがあって、可能な限り進行方向に真っすぐ投げるのだ。もし左右に投げた場合、拾いに行くのに余分な距離を歩かなければならない。おまけに、もしギャラリーにでも命中したら大変なことになる。ギャラリーの近くでクラブを拾う姿は、あまり恰好いいものではないからね。ときに腕力のない若造が私の真似をするが、危なくて見ちゃいられないぜ。

これまでの遠投記録? そうさな、クオドシティ・オープンのときには真っすぐ70ヤードも投げたことがある。このときは自分でも惚れ惚れするほどいいフォームで投げられた。しかも偶然とは恐ろしい、ヘッドが柔らかい地面にめり込んで垂直に立ったのだ! あれは最高、忘れられない光景だった」

1953年、ラスベガスで開催された「トーナメント・オブ・チャンピオンシップ」の試合中、彼は記録に残る大狂態を演じた。まず1メートル弱の短いパットを外した次の瞬間、手にしたパターを20ヤードもぶん投げてヘッドが破損した。次のホール、ティショットが深いラフに飛び込むや否や、ドライバーを地べたに叩きつけて3つに折ってしまった。クラブの補充はルールで禁止されているため、彼は2番アイアンでパッティング、3番ウッドでティショットするしかなかった。

翌日は最終日、ラスベガスではボルトに関する盛大な賭けが行われた。彼が優勝するか否かではない。18番までプレーして14本のクラブ全部が無事か? それとも多少は残るか? 果たして何本残るか? 賭けの内容は細微にわたったが、なんと1日にして数万ドルもの賭け金が集まったといわれる。もちろん、14本無事にホールアウトするほうに賭けた者は少なかった。

いよいよ試合が始まって、いきなり1番グリーンで短いパットを外した彼、次のティに向かう道すがら、パターを通路に叩きつけた。ところが1メートルほど跳ね上がったものの奇蹟的に無事だった。それからもドライバーが投げられ、アイアンが宙に舞い、再度パターも受難に遭ったが、どうしたことだろう、14本のクラブは最後まで壊れず、お陰で途方もない大穴が飛び出したそうだ。

クラブを投げ続けた末の自業自得

別な試合では、ティショットに失敗してドライバーのヘッドを踏んづけたところ、スパイクの鋲がヘッドに突き刺さって抜けなくなった。仕方なく彼は靴底の下にヘッドをつけたまま歩き出したが、どうにもバランスが取れず困り果てていた。その姿を見て一人の役員が近づき、彼に忠告した。

「左の靴の下につっかえ物をすれば、すべてのショットがアップヒルライになると計算したらしいが、つまりはライの改善に該当する。大至急撤去しなさい」

彼は同伴競技者の手を借りて、ようやく厄介物を始末したが、その役員に罵声を浴びせたペナルティによって500ドルの罰金が科せられた。

やがて、彼のパフォーマンスはアマチュアの世界にも蔓延した。全米アマに登場した若きアーノルド・パーマーまでが、ダフった瞬間にクラブを投げる始末だった。

たまりかねたプロゴルフ協会では、「トミー・ボルト・ルール」と名づけたクラブ投げ禁止条例を発布した。彼に限ってクラブ投げに500ドルの罰金が科せられるという内容だった。

この処置に対して、多くのファンから試合の興味を削ぐ処置だと抗議が寄せられた。心ない連中にしてみると、自分たちには手の届かない高価なクラブが投げられ、踏んづけられる光景こそストレス発散に最適であり、彼の行為は一服の清涼剤になるとテレビで語るアホな芸能人も現われた。

新ルールが誕生して間もなく、コロニアル・オープンに出場した彼に絶体絶命の危機が訪れた。その日、1メートル前後の短いパットがことごとくカップに嫌われて彼は爆発寸前。同伴競技者のエド・ボーキー・オリバーにたしなめられ、辛うじて自制を保ちながらやってきた18番グリーン。ところが彼は一万五千人の大観衆の前で、またもや短いパットを外したのである。瞬時に顔面が紅潮し、両手がブルブル震え始めた。間違いなく数秒以内にクラブが投げられる局面、そのとき横から近づいたエドが彼の手からパターをもぎ取って近くの岸辺まで行くと、いきなり水面めがけてぶん投げたのである。これには当のボルトも大笑い、ギャラリーも大爆笑、親友が危機を救ってくれたのだ。

「私の場合、ロングパットを沈める確率よりも、パターを壊す確率のほうがはるかに高かった。多い年には30本以上のパターが血祭りにあげられた。もちろん、ギャラリーの前でクラブを投げたり壊したり、決して褒められた行為ではないが、やるまいと思っても自然に手が動いてしまうのだ」

やがて、いくつかの新聞に、彼のゴルフは下品すぎるというコラムが登場し始めた。別な雑誌では著名なコラムニストが、これからゴルフを覚える子供にとってクラブ投げは非教育的であり、罰金よりも出場停止処分にすべきだと書いた。

こうした動きとは別に、ギャラリーのほうも度重なるクラブ投げに飽きたのだろう、1962年ごろには、彼がクラブを叩きつけると一部観客からブーイングが起こるまでに事態が変化した。粗野なふる舞いは品格あるゲームに似つかわしくないのだ。

フィラデルフィア・クラシックに出場していた彼が、名物池越えの12番ホールでピン横1メートルに密着するスーパーショットを放った。ところが、グリーンの周りにいた数千人のギャラリーからは盛大な拍手が起こる気配もなかった。彼は自分のキャディに尋ねた。

「連中の拍手が聞こえたかね? 俺には何も聞こえなかった」

「わしにも聞こえませんでした」

キャディの答えを聞いて、老いたるボルトが呟いた。

「もう誰も俺のプレーなど見たくもないのか。どうやら終わったね」

その年限り、癇癪(かんしゃく)ゆえに選手寿命まで縮めた彼の姿がツアーから消えた。

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

『ナイス・ボギー』 (講談社文庫) Kindle版

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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