今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第7回は、ゴルフをプレーするときは上を向いて歩きなさいというアドバイス。その理由は、堂々とプレーするというだけでなく、もうひとつ、大事なことがあるそうで……。
画像ギャラリー第lホール パー5 意のままにならぬゲーム
その7 空の上から「フォアーッ」
コースにできた大穴の原因は隕石!?
調子が悪いからといって、選挙で敗北した党首のようにうなだれてはいけない。何しろ大自然の中のゲーム、頭上から何が降っても不思議ないからだ。
たとえば1977年10月、南米コロンビアのボゴタに近いガチェタでプレー中のホセ・ラクレス氏(44歳)の場合、林の中に飛び込んだボールをフェアウェイに戻そうと、2~3歩あとずさり、木立ちの隙間に照準を定めることにした。
ところが昨夜からの強風で頭上に高圧線が垂れていたから不運。目撃した友人の話によると、すさまじい轟音と閃光の一瞬、ラクレス氏の骸骨が浮き出て見えたそうだ。
一方、アラスカのセントイライアスでは、その朝クラブ選手権が開催される予定だった。グリーンキーパーはピンの位置を決めるべく、カートに乗って12番ホールにやってきた。
「ゲッ!」
なんと、一夜にしてフェアウェイの真ん中に巨大な穴が開いているではないか。
「誰だ、こんな悪ふざけをするのは。許せん!」
恐る恐る覗き込むと、穴の底に真っ黒な石の肌が見える。知らせを受けて支配人が駆けつけ、警察が呼ばれ、やがて近在から地質学の先生までが招集された。専門家曰く、
「たとえ10メートル上空からクレーンで落としたとしても、これほど深く潜るはずがない。恐らく宇宙からの隕石ではないだろうか」
これで大騒ぎになった。やがて掘り出された黒い石は1個が160キログラム、10メートルほど離れた場所に落下したもう1個が77キログラム、これぞ有名な「セントイライアスの隕石」というわけだ。
とりあえずクラブ選手権は12番ホールをよけて、最終18番から1番を二度プレーする変則競技で無事終了した。
インドのラニガンジでは、折から家族デーとあってコースは超満員。老若男女が右に左にボールを追い回した。と、一人の子供が上空をゆび指して叫んだ。
「見て! お空から真っ白いマッシュルームが降ってきたよ」
一同が見上げると、信じられないことに無数のパラシュートが次々に降下してくるではないか。いずれも迷彩色の戦闘服に身を包み、ライフルも背負っている。さらにジープ、軽戦車、大砲までがパラシュートにぶら下がって次々に降りてくる。インコース一帯は、戦地さながらの様相を呈した。
「あれ?」
指揮官が地図を見ながら、近くのゴルファーに尋ねた。
「ここは、いつごろからゴルフ場に変わったのかね?」
「クラブ設立が1974年、つまり5年前からゴルフ場だが……」
「チェッ、また古い地図を寄越しやがった。この前なんか、田んぼに降りるはずがダムのど真ん中、うちの司令部の資料は信用ならん。全員集合! とりあえず引き揚げるぞ」
呆気にとられるゴルファーを尻目に、連中はコースに穴を開けながら部隊に戻って行った。
ドイツの落下傘部隊に備えてライフルを持ってプレー
ジンバブエでは、国際空港に隣接するコースにジャンボ機が不時着した。そのとき、ざっと100人のゴルファーがプレー中、あまりのショックで心臓発作に見舞われた老人もいた。
運よく貨物専用機だったため、乗務員が軽傷を負った程度で済んだのは不幸中の幸いだが、コースは1ヵ月ほど使いものにならなかった。
一方、アイオワ州の小さな田舎町、ローレンスにある町営のローレンスGCでは、飛行機事故が日常茶飯事である。何しろ9ホールのうち7ホールまでが滑走路を横切るレイアウトなのだ。
20年以上も農薬散布の軽飛行機を操っているパイロット、ノーマン・ハートソック氏によると、
「プレーに熱中するゴルファーにとって、眼下のボールこそ問題、頭上など気にしないものだ。私が着陸態勢に入っても、見上げる気配すらない。ときには頭上すれすれ、わずか5メートルの至近距離を飛ぶこともある。あちらも命がけなら、こちらも命がけだ。
問題解決のため、これまでにコース側と再三話し合いが持たれたが、どちらにも譲る気配がない。過去に数回、飛んで来たボールが機体に命中したが、いずれの場合も大事に至らず、とくに損害賠償など求めたこともない。ただし、もしパイロットに命中したなら大変なことになるだろうね」
そういえば、これは杉本英世プロから聞いた話だが、1965年の風の強い日、横浜の磯子カンツリークラブでプレー中に、とんでもない物が空から降ってきたそうだ。
「その日は勝俣功プロたちと月例競技に出ていた。9番ホールまで絶好調、ティグラウンドに立った私は思いっきりドライバーを叩いて、それからクラブをバッグにしまおうとしたとき、はるか北の空から1機のヘリコプターが斜めになってこちらに飛んでくるのに気がついた。
『こんな強い風の中を、よくもまぁ飛ぶもんだなぁ』
そのとき、私はそう思った。次第に近づいてくるヘリは強風に逆らってボディを若干横にしながら、ヨロヨロした感じでやって来る。ショットを打ち終わった勝俣プロも隣に立って、私と同じように口をアングリ開けながら風と悪戦苦闘するヘリを見上げていた。
私がヘリから一瞬目を離して、最後の打者のボールが飛んだ方向を見やったときである。私たちの頭の真上で、『メリッ!』という立木を割るような音がした。ハッとして頭上を見上げると、いままさにヘリのプロペラと胴体が、スローモーションの画面を見るようにゆっくりと離れていくところだった。
竹トンボのようなプロペラは、胴体から離れても依然として進行方向にきれいに回転し続けていた。プロペラから離脱した胴体は胴体で、これまたゆっくりと同じ姿勢を保ったまま、スウーッとこちらに向かって落下してくるではないか。心臓が凍りつくとは、まさにこのこと。私たちは石のように立ちつくして見守るだけだった」
空から落ちてくるのは隕石、飛行機ばかりとは限らない。戦時中のイギリスでは、爆弾が絶え間なく降りそそぐ日が続いた。もちろん、ゴルフコースとて例外ではない。いくつかの由緒正しき名コースまでが、砲弾によって無残に破壊され、プレー中止のやむなきに至った。
しかし、彼らにとってゴルフは命の糧、戦時中もナチスの落下傘部隊降下に備えて、パーティの一人が必ずライフルを持つことが義務づけられたのは当然としても、ゴルフをやめる気などさらさらなかった。
1943年には、ロンドン郊外のコースの大半が爆撃の被害にあったが、ジョンブルに臆する気配なし。プレー中の彼らは拳を空に突き出して、こう叫んだものである。
「いいかげんにしろ、コースレイアウトが変わるじゃないか!」
1948年には、オーストラリアの南端、テーレムベンドの6番に砲弾が撃ち込まれた。近くで訓練中の砲兵部隊の誤射だった。
おわかりかな? 思い通りにいかないからといって、うつむいてはいけない。いつかマグレ当たりが爆発する日もあれば、いい加減に打った長いパットがコトリと沈む日もある。だからコースでは、堂々と上を向いて歩きなさい!
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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