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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。 「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第9回は、日本にゴルフというゲームが入ってきた頃は、最も大切にされていたマナー、品格というものが、いかにして失われていったかについて。

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その9 マナーが死んだ日

第2ホール パー4 この精神がわからんのか 2

日本最古のゴルフクラブの誇り

日本最古の「神戸ゴルフ倶楽部」が誕生して間もないころ、1人のイギリス人会員がクラブハウスのテラスに立って、折から真紅に染まるコースの夕暮に見蕩れていた。標高1000メートルのテラスから一望する京阪神は壮大なパノラマ絵巻であり、「己れが神になったような浮遊感」、と表現した会員もいるほどに絶景である。

そこからは、16番と18番の2ホールが見てとれる。とくに335ヤード、パー4の16番は、フェアウェイ全体が右から左に傾斜して、たとえド真ん中に豪打を放とうとも、次打は前上がりのライと格闘する難ホールである。

六甲開山の祖、アーサー・グルームが1901年に4ホールを造成したことで、コース周辺にも居留外国人の別荘が建ち始めた時代、そのとき暮色に染まった16番では1人のイギリス人が黙黙とプレーに専念していた。

何気なく見ていると、彼はラフに沈んだボールを草の上に置き直し、それから次打に取りかかった。会員は18番グリーンの横に先回りして彼を待ち受けると、16番ホールでのスコアを尋ねてみた。

「ええと、6でした」

「それはクラブでボールを打った回数かね?」

「もちろんです」

「きみはラフのボールに触れたではないか!」

 ギクリ、彼は硬直した。

「呆れたものだ。きみは自分まで騙す人間らしいね。プレー中の欺瞞行為は天知る、地知る、人知るといって、必ずバレるものだ。私たちゴルファーは審判不在、自己申告のゲームを誇りとす。だからこそ他のいかなる競技にも増して、欺瞞行為がきびしく軽蔑されるのだ。ときには社会的制裁によって仲間から抹殺されるケースもないではない」

会員は、うなだれる男にきびしい口調で言った。

「ゴルフは誰にでも親しめるゲームだが、誰にでもふさわしい訳ではない。きみの場合、ゲームを重ねるたびに貧相な人間性が露呈されるだろう。すぐにゴルフをやめなさい。それから同国人として、きみの存在が恥かしく感じられる。神戸にも居て欲しくない」

すると一週間後、本当に彼は荷物をまとめて帰国したというから恐ろしい話である。

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鳴尾ゴルフ倶楽部のレッドカード...
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