鳴尾ゴルフ倶楽部のレッドカード
兵庫県の鳴尾ゴルフ倶楽部といえば1920年の開場以来、マナー遵守の気風が凛と張りつめる名門だが、これとて一朝に築かれたものではない。たとえば1950年代のハンディキャップ委員長に、服部倫一氏なる古武士がいた。彼はプレー中もストップウォッチを離さず、どこかにプレーの遅い者、ターフ跡に見向きもしない者、バンカーの入り方、均らし方も知らないアホタレがいると、老軀とも思えぬスピードで現場に疾走、
「きみはいま、ショット地点に到着してからクラブ選択に延々と時間を浪費した。さらに何度も素振りをくり返して草を痛め、その上アドレスでモジモジして、同伴競技者が待ちくたびれても知らん顔だ」
ときびしく𠮟責する。そしてここからが前代未聞、「督促状」と印刷された赤ワクの紙を取り出して、日時、相手の氏名を記入すると、それを目の前に突きつけて言った。
「未熟者!」
イエローカードの元祖が、鳴尾の服部氏であることは間違いない。ところが厳格な倶楽部だけに、注意、戒告、謹慎といった段階的罰則など設けず、いきなり「除名」の通告が舞い込むのだった。
「ちょっと待ってください。私にも言い分が……」
申し出ようにも、弁解釈明は男子の恥とする風潮が色濃く、泣きつく暇もなかった。つまり「督促状」はレッドカードにほかならず、マナー違反はその場で退会処分になるのが当たり前とされた。
「スコアに淫して牛の如くプレーする者、ゴルファーに非ず、仲間として認め難い」
理事会にも凛とした気概があった。こうなると会員は戦々恐々、スコアどころの話ではない。とにかく敏捷にプレーして一切の痕跡を残さず、コースの途中で「督促状」に遭遇しないことだけを念じて一日を終わらせるのが精一杯。古参会員に伺ったところ、
「周囲から、鳴尾は古武士の集団だと言われたものです。それほどマナーに厳格、プレーに真剣でした。先輩から伝授されたゴルフの奥義は次の3点、『ボールに近づくまでに考えをまとめておけ。機敏に打て。そしてプレーの痕跡を一切残すな』
この考えを忠実に守りながら、それでも自分なりに工夫してスコアメイクに励んだものです」