『水口食堂』の女将・水口初音さん
まさに女将さん、天職では? 訊ねると、子どもの頃から食堂が嫌で嫌で、と思わぬ真相が明かされた。「でも続けていれば、嫌なことでもなんとかなるのね」
水口初音(みずぐちはつね)さん。東京・浅草生まれ。第二次世界大戦の東京大空襲で街は焼き尽くされ、母と幼い妹を失った。彼女自身も幼かった。
明治男の父は料理人で、終戦5年目の昭和25年に『水口食堂』を開業。あの頃、子どもは家の手伝いをするのがあたりまえ。それは苦ではなかったけれど、食堂の家は、サラリーマン家庭と違って日曜のお出かけもない。家族団欒らんもない。だから嫌だった。
少女の楽しみは、黄金期の映画だ。猛烈な速さで復興した浅草の、とくに六区は劇場の隣に劇場が建つような勢いで、映画に歌劇、ダンスショーや演芸、女剣劇やらストリップと、昼も夜もないお祭り騒ぎ。小学生の彼女は、お風呂屋へ行くと言ってはこっそり映画を観た。「2本立てが毎週封切られますから、毎日観ますよね。お正月には、片岡千恵蔵やらスターが劇場に来たりして」
時代の熱が沸点に達した浅草で、たくましく生きる人々が『水口食堂』のお客だ。夜通し働いたグランドキャバレーのバンドマンや劇場の警備員は、朝に刺身と日本酒でお疲れさま。醤油さしは昼を待たず空になり、午後からは外のお客が、観劇後のお楽しみにやってくる。
結婚相手の正さんはサラリーマンをやめて厨房に入り、一緒に店を継いでくれた。ベテラン料理人とともに作る料理は、揚げ物は揚げたて、炒め物は炒めたての、作りたて。いり豚、コロッケなどご馳走ではないが、家族に食べさせるような健全さである。その数、100品以上。お客それぞれに”いつもの”メニューがあり、誰の好物も外せないから、結果、増える一方になるわけだ。
平等であること。それは、向いていないと自覚する仕事だからこそ、自分に課した心がけだ。常連も一見も同じトーンの「いらっしゃいませ」。愛想のいい人にも仏頂面にも、「ありがとうございました」の心は変わりない。「母と妹の分も生かされているので、悪いことしないで」
空襲と終戦から78年。初音さんは現役で毎日出勤し、休日には月に1、2回、正さんと映画を観に行く。
『水口食堂』
昭和25年創業。浅草六区で永く愛され続けている、東京を代表する食堂。メニューは単品から定食まで、品数の多さと幅広さでも知られる。同様に、ひとり客からファミリーまで、客層の広さもこの店の特徴。
[住所]東京都台東区浅草2-4-9
[電話]03-3844-2725
[営業時間]10時〜20時半(20時LO)
[休日]水、月2回ほど不定休あり
[交通]つくばエクスプレス浅草駅から徒歩1分
文/井川直子、写真/大森克己
※2023年5月号発売時点の情報です。
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