自身のドライバーに対する思いを綴った傑作
セントアンドリュースをこよなく愛した彼に、ある日一通の手紙が舞い込む。これぞ待ちに待った吉報、積年の念願叶ってセントアンドリュース大学の教授に迎えられたのだ。と同時に、伝統あるクラブの会員として入会も許されたのだから、二重の喜びだった。クラブ史によると、正式入会が許されるのが1月1日。ところが古いしきたりが黙殺されて、前年の9月15日から会員として迎えられている。この一事を以てしても彼がいかに愛された存在か、よくわかるというものだ。セントアンドリュースの名物プロ、アンドリュー・カーカルディーが残した日記に、しばしば彼が登場する。
「ラング教授は、どちらかというと細い体のお人だった。飛距離に悩んでいなさったが、ゴルフは小技のゲームと承知、アプローチとパッティングでしぶといゴルフを身上とされた」
日記には、思いがけない素顔も登場する。セントアンドリュースの名物キャディ、「オールド・ドゥ」といえば、かつてアラン・ロバートソン、ウィリー・パークなど、巨星たちのキャディをつとめたことでも知られるが、長男のジェミー・アンダーソンが1877年から全英オープンに3連勝したこともあって、周囲から隠居を迫られ、ひところはマッセルバラに引っ込んでいた。しかし、愛しのセントアンドリュースが忘れられず、理事会に頼んで9番ホールの横にジンジャービールとレモンスカッシュの売店を構えることになった。
誰よりも、この地をこよなく愛したアンドルー・ラングにすると、「オールド・ドゥ」が親戚のように思えてならなかった。日記によると、彼は9番に到着するのが待ち切れない様子、プレーもそこそこに屋台まで出向くと、握手の手も離さずに体の具合を尋ね、それからジンジャービールを求めて、必ず同じ質問をするのだった。
「売れてるかね?」
すると、正直者のドゥも判で押したように同じ答えを繰り返した。
「どのくらい売れてるか、家に帰って帳簿を見ないとわかりません」
「儲かっていれば、それで十分だ」
「原価についても、帳簿を見ないとわかりません」
するとラングは大笑いしたあと、決まって同伴者に言うのだった。
「ドゥは、スコットランド随一の正直者だね」
9番に限らず、彼はコースで行き交う人に近づいては挨拶を交わし、管理人と話し込み、この地に対する愛情が全身から溢れていた。ところがゴルフだけはままならず、セントアンドリュース大学の学内誌「カレッジ・エコー」に、自分のドライバーに対する悪態を次のように綴ったことがある。
「ドライバーよ!
お前は痛風病みのロバ 後家のキツネ 頭痛持ちのフクロウ 臆病者のヘビ 高慢ちきな令嬢 二日酔いの運転手
これでも、まだまだ言い足りぬ
お前は目隠しされたヒバリ 羽根を落としたトンビ 手紙を失くした郵便屋 陽気がいいのに咲かぬ花 引き金の壊れたピストルだ
お願い、たのむ せめて一度でいい、自分の役目を思い出しておくれ」
八つ当たりの詩かと思えば、なんのことはない、最後は哀願である。それにしても、ここまで悪態をつかれたドライバーが期待に応えるとは思えない。カーカルディーの証言を待つまでもなく、彼がティショットに問題を抱えていたことは明白である。
1912年7月20日、彼は膨大な著作と、同じく膨大なスコアカードの山を残してこの世を去るが、常に身辺に置かれた備忘録の最後のページに、若いころ書いた詩の一節が几帳面な書体で小さく綴られてあった。生涯に数千の詩を残したが、恐らくこの一文こそ自ら傑作の折り紙をつけたものに違いない。
『われ、ゴルフをせんと生まれけむ』
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。