「受験は競争、受験生もアスリート」。トレーナー的な観点から、理にかなった自学自習で結果を出す「独学力」を、エピソードを交えながら手ほどきします。名付けて「トレーニング受験理論」。その算数・数学編です。第16回では、話題となった東大入試問題の挿話をもとに「ゆとり教育」について考察します。
円周率が「3」に変わる?
受験界のみならず、世間を賑わした東大の入試問題があります。2003年の東大理系数学の第6問です。東大の理系数学の入試問題は大問6問が出題されます。通常、大問1つが5~8行程度ですが、2003年の第6問は、たったの1行でした。数学の入試において、「1行」というわずかな記述の問題文をまず見たことがありませんから、受験生は驚いたことでしょう。
ただ、問題の記述量よりも、世間をもにぎわした要因は別にあります。問題の内容でした。
「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」
これが、なぜ波紋を呼んだのでしょうか。それには当時の社会状況が起因しています。
2002年度から実施された学習指導要領は、『小中学校の学習内容を3割削減する』『公立の学校は完全週5日制とする』など、いわゆる「ゆとり教育」を大きく推進するものでした。その中で、『小学校で教わる円周率が3.14から3に変わる』という誤った認識が広まりました。実際には3.14のままでしたが、指導要領の中の「目的に応じて3を用いる」という文言が切り取られ、大手学習塾の宣伝キャンペーンやマスコミのあおりを受けて、その認識が大きく広まったようです。
こうしてゆとり教育への批判が高まる中、2003年の東大の入試問題で出題されたのが第6問だったのです。その出題意図について、当然東大からは何のメッセージも発せられませんでしたが、世間では「東大がゆとり教育に対して警鐘を鳴らしたのでは」との見方が広まりました。
「ゆとり教育」とは…2002年度の改訂
1957年、ソビエト連邦が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。これは「スプートニク・ショック」として、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国に大きな衝撃を与えました。その後西側諸国は科学技術分野での遅れを取り戻すため躍起(やっき)になります。特に教育分野に目が向けられました。分析の結果、数学教育に集合論・ベクトル・行列を取り入れることなどが必要とされました。
これを機に日本でも小学校から集合論が導入されるなど、数学や理科で学ぶ分量が増え、難しくなっていったのです。しかし、落ちこぼれの増加、受験競争の激化、非行の増加などの問題が発生し、「新幹線授業」「詰め込み教育」との批判が強まるようになりました。
このような詰め込み教育の弊害を改善するために、子どもたちの学習負担を減らしてゆとりを持たせ、自ら考えることを重視する教育への転換を目指して、学習指導要領の改訂・実施が、1980年度、1992年度、2002年度と段階的に進められることになりました。いわゆる「ゆとり教育」の始まりです。ゆとり教育としてよく批判を受けるのは2002年度の改訂ですが、ゆとり教育は実際には1980年度から始まっており、授業時間数や学習する内容は徐々に削減されていたのです。
ゆとり教育が始まった当初は、詰め込み教育への反動として、おおむね好意的に受け止められ、顕著な学力低下も見られませんでした。ところが、特に2002年度の改訂では、学習内容や授業時間数の削減が大きく、計算能力や漢字書き取り能力に難がある大学入学者が見られるなど、学力低下も問題視されるようになりました。
そのためゆとり教育への風当たりが強まっていき、とうとう2011年度の学習指導要領の改訂では、授業時間数の増加、削減された学習内容の復活など、「脱ゆとり」教育へと方向転換されることとなったのです。