歴代最多ツアー84勝を誇るサム・スニード
サム・スニードが生まれたのは5月27日、バージニア州アシュウッドに住むホテルのボイラー係、ハリー・スニードと妻のローラがもうけた6人の子の1人である。後世の史書は、恐らくスニードを次のように紹介するだろう。
「20世紀最高のスウィンガー。ナチュラル・ボーン(生まれつきの)・ゴルファーとして活躍、ツアー84勝の大記録を残す」
その振りの滑らかなこと、滅多に人を褒めないベン・ホーガンでさえ、
「彼の流麗なスウィングは、誰にも真似ができない。ゴルフにおける芸術だろうね」
と、脱帽したものである。とくに師匠がいたわけでもないのに、プロショップの助手として働きながらゴルフを覚えると、ウエスト・バージニアの競技会に出掛けていって、いきなり2日目のスコアが「61」(!)。この快事に注目したのがトーマス・ボズウェルである。彼は『Strokes of Genius』の中で次のように書いた。
「天才スニードによると、ゴルフなんてビリヤード、ダーツよりずっとやさしいそうだ。3打目と4打目だけきっちり打っておけば、あとは散歩みたいなものだと彼は言った」
25歳のときプロに転向する。と、その緒戦、オークランド・オープンで「69・65・69・67」の18アンダー、いきなり優勝してみせた。しかし、バイロン・ネルソンがツアー11連勝など、途方もない話題を独占したため、ネルソンが引退してからの約10年間が彼の黄金期といえる。
彼のストローハットは有名だが、それ以上に「全米オープンから見放された男」として球史に残るだろう。1939年の全米最終ホール、ボギーの「5」でも優勝する局面で狂気の「8」とは、誰もが口をあんぐりだった。これがケチのつき始め、以来どうしても全米オープンだけは勝てなかったが、プロとしては出色の一語に尽きる。47歳の年にホワイト・サルファ・スプリングスで「59」のスコアを達成すると、53歳の年、グリーンズボロでツァー最年長優勝をやってのけ、62歳の年に全米プロ選手権堂々の3位、67歳の年に出場したクォードシティ・オープンでは、「66」のツアー史上初、エージシュートまで披露した。これほどの名選手だけに、分泌される言葉にも含蓄が色濃く宿るのである。
「打ちに行ってはいけない。しっかり大きく振り抜くだけ」
「トシをとったら、いいスウィングしか役に立たない」