「ゴルフの鉄人」ベン・ホーガン
素晴らしいことだが、先の2人と同様、「ゴルフの鉄人」と呼ばれるベン・ホーガンもいまなおテキサスに健在である。彼が生まれたのは8月13日、鉄工所で働く職人の次男坊だが、彼が9歳のときに父親が自殺して、一家は困窮を極めることになる。11歳のとき、キャディとして日銭稼業の道に入ってゴルフを覚えると、1931年、ためらいながらツアー競技に出場する。
名著『モダン・ゴルフ』が物語るように、当初から彼はスウィングに科学と合理性を持ち込み、ミクロの誤差に対しても容赦しない求道的ゴルフに終始した。ツアー62勝のグランド・スラマーとして、というよりも、1949年に交通事故で瀕死の重傷を負いながら奇蹟的にカムバック、映画「フォロー・ザ・サン」のモデルになったことで知られる。
とにかく無口で不愛想。しかし、筋だけは絶対に曲げない男でもある。1948年の全米プロ選手権3日目は、猛烈に暑い日だった。彼と一緒に回っていた選手が悲鳴まじりに、
「畜生! 暑くてゴルフにならん」
それを聞いた次の瞬間、キッと振り返って言った。
「暑いのは、きみだけか!」
どこかのプロに聞かせてやりたい話である。暑さ、準備不足をメジャー落選の言い訳に使うなんて、職業的意識が低すぎて情ない話だ。
さて、不思議なことに、アメリカの「1912年」とほぼ同じ現象がイギリスでも発生していた。1870年の2月から翌年の3月にかけて、いわゆる「ゴルフ三巨人」と呼ばれるハリー・バードン、J・H・テイラー、ジェームズ・ブレードが相次いで誕生、この3人で実に16回も全英オープンを制している。これはもう占星術の範疇に入る出来事だろう。残念ながら、わが国に輪廻の痕跡は見当たらない。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。