国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」のシンガー・ソングライター、井上陽水の最終回は、恒例の筆者が選ぶ3曲を、挿話を盛り込みながらお届けします。
『氷の世界』発表から50年
日本初のミリオンセラー・アルバムとなった『氷の世界」が発表されたのは1973年。50 年の歳月が流れた。50年というのは大部分の方の人生の半分以上となる大変長い年月だ。
現代のミュージシャンたちの活動寿命が伸びたので“50周年記念”と銘打たれたアルバムも増えてきている。だが、その多くは懐しさこそ感じさせてくれるものの時による風化をまぬがれていないものは少ない。
現在、『氷の世界』を聴き直すと、時による風化が少ないことに驚かされる。そうなっている要因のひとつが詞の完成度の高さだ。
『氷の世界』の有名曲「心もよう」ひとつを見ても、現代に通じる普遍性をこの詞は獲得していると思う。風俗や流行は時と共に変化するが、変わらない人の心というものがあるとぼくは信じる。井上陽水はある意味、人の心を語るミュージシャンで、それ故に彼のほとんどの楽曲は普遍性を獲得しているのだと考える。
「傘がない」50年が過ぎても全く風化していない
井上陽水のレパートリーには名曲が数多くあるので、それらから極私的3曲を選ぶのは難しい作業だった。そこで彼のレパートリーだけでなく、包括的に彼の音楽活動を俯瞰して選曲をしてみた。
まずは本人名義の初のアルバム『断絶』から「傘がない」を選んだ。人間の8割は自分の人生や個人的なこと以外は無関心だと思う。悪い意味か良い意味なのかは分からないが、社会や政治に関わるより、日々の流れに身を任せている人たちは多いと思う。メッセージ性を持つ歌を歌うミュージシャンは、少しでも自分の世界だけでなく、外界に目を向けるように促す曲を作る。
「傘がない」はそういったミュージシャンたちが作るメッセージ・ソングと真逆の歌だ。 雨が降っているのに傘がない。それが問題だと歌われる。そこに人間の真理が描かれていると思う。メッセージ性を拒否したメッセージ・ソング、それが「傘がない」なのだ。そしてこの曲は50年以上過ぎた現在でもまったく風化していない。