バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第84回は、「化粧について」。
なぜ私は「ゲラ校正」が好きなのか
年末から年始にかけて、山のようにゲラが送られてきた。
「ゲラ」とは活字に打ち直した校正用の原稿のことである。これには担当編集者や校閲者の手で疑問点がチェックされており、著者はその点について再考し、かつ文章の推敲(すいこう)をする。
私の場合、著者が無能であるのか編集者が有能であるのか、たぶんその両方であろうと思うが、送られてきたゲラには常にささらのごとく付箋が付けられており、疑問点の書きこみが、ビッシリと欄外を埋めつくしている。
起稿から上梓に至る書物の出版工程の中で、私はこの「ゲラ校正」の作業が最も好きである。
活字になって戻ってきた小説を舐めるように読み、疑問点について懊悩し、要すれば推敲をする。もちろん改稿の必要なしと思うならば、編集者を納得させるだけの合理的説明を用意する。
しかるのち編集者と会い、疑問点についての意見交換とあいなる。この際、意見が対立し、激論となることもしばしばである。
つまり私は、ゲラ校正にまつわるそうした一連の緊張感が好きなのである。活字は映像や音楽のように、鑑賞の瞬間に消えてなくなりはしない。鑑賞の速度と深さは読者の意思にゆだねられており、しかも鑑賞し終わった後にも、くり返し吟味することができる。
すなわち書物は、音楽のように一回性の緊張感こそないが、そのかわりあらゆる読者の吟味に耐えられるだけの完成度を要求されるのである。
早い話が「ゲラ校正」とは、小説を完成させる最終工程であり、花嫁の顔に化粧を施すような、神聖な作業なのである。
最後のチャンス。ここで間違えたら取り返しがつかない。
したがって私は、原稿を書くための環境にはあまり頓着しないタイプなのだが、ゲラ校正はすべての世事をシャットアウトして一気呵成に行わねば気が済まない。いや、気が済まないというより、そうでなければできないのである。
さあやるぞとゲラを前にしたときの緊張感はたまらない。作家らしくオーバーかつ適切に表現するなら、神おろしの沙庭(さにわ)に座ったような、あるいは白無垢を着た娘にわが手で眉を引くような感じ、とでも言おうか。
とはいうものの──現実には多分に体育会系のノリでこれを行う。睡眠を十分にとり、熱いシャワーを浴び、ヨオッシ!と気合を入れて机に向かう。
編集者の皆さんからよく指摘されることであるが、私は仕事のペース配分が悪いらしい。らしい、というのは、悪いと言われてもどう悪いのか、どうすればよいのか、よくわからんのである。
で、クソ忙しい年末年始に、ペース配分をまちがったゲラが一斉に届いてしまうという結果になる。どうやら年末に丸ノ内線の車内で突然気を失い、救急車に乗っちまった原因は、原稿よりもゲラにあるらしい。
まず、『勇気凜凜ルリの色②四十肩と恋愛』のゲラが来た。要するに本稿の単行本第2巻目のゲラである。
続いて『プリズンホテル春』のゲラが来た。これはシリーズの4巻目、完結篇であるからけっこうプレッシャーがかかった。
さらに、講演録とバクチ指南書の抱き合わせ本とかいう、ものすげえ企画のゲラが来た。内容がものすげえ分、相当のプレッシャーがかかった。
またさらに、「小説推理」に連載をした長篇、『活動寫眞の女』のゲラが来た。この小説は舞台が京都、しかも古きよきキネマの時代を扱っているので、方言、時代、地理、もちろん映画という素材について、などなど、あらゆる部分の再考証が要求される。プレッシャーたるや並大抵のものではない。
またまたさらに、まもなく第一短篇集のゲラが来る。昨年はどうしたわけか、あちこちの小説誌にたくさん短篇を書いたので、いよいよ1冊の本になるというわけだ。
これは最大級のプレッシャーがかかる。なぜかというと、短篇小説はそれ自体が精密さを要求されるから、ゲラ校正の緊張度もまたひとしおなのである。50枚の短篇が8篇。考えただけで胃が痛くなる。
とまあ、ペース配分をまちがった結果、単行本5冊分、原稿用紙に換算すればつごう2千数百枚分にのぼるゲラが、年末年始にドッと押し寄せてくることになった。