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生の“ジャニス・ジョプリン”を観た!

谷村新司の下積み期間は長い。フォーク・ ブームに影響を受けて、男性2女性1名と いうピーター・ポール&マリーと同じ編成のグループを組んだのは1965年。ロック・キャンディーズというグループ名だった。関西ではかなりの人気を得て、1968年秋にはデビュ一・シングル「どこかに幸せが」を、1971年 には唯一のアルバム『讃美歌』が発表された。 この頃から谷村新司は作詞・作曲も手掛けていたから、日本のシンガー・ソングライターのルーツのひとりと言える。

1970年、大阪万博の年にはザ・フォーク・クルセダーズと共にアメリカでコンサート・ツアーまで行なっている。この時に参加していたブラウン・ライスというバンドのドラマー矢沢透と意気投合し、帰国したら一緒にやろうと約束する。帰国後、フーリッシュ・ブラザー・フットのヴォーカルだった堀内孝雄をアリスに誘った。

まず1971年末、谷村と堀内がアリスとして練習を始めた。翌1972年3 月、シングル「走っておいで恋人よ」でデュオのアリスとしてデビュー。同年5月に矢沢透が合流し、3人組となった。

“アメリカではあまり良い思い出は無いんだけど、ツアー中の(英ロック・バンド)レッド・ツェッペリン、それと(米女性ロック・シンガー)ジャニス・ジョプリンのライヴを観れたのは幸運だった。来日したツェッペリンを観れた人は多いだろうけど、生のジャニスを観た人は少なかったと思う”

「アリス」のファーストアルバム「アリスI」(1972年)と、アリスの前に谷村新司がリーダーを務めたグループ「ロック・キャンディーズ」のファースト・アンド・ラストアルバム『讃美歌』(1971年)

「売れなかったけど、この道を行くしかない」

デビューから2年少し、アリスはまったく売れなかった。

“とにかく売れなかった。でもライヴをやる度に少しずつお客さんが増えていく。手応えはあるんだけどレコードは売れなかった。それでも選んだこの道を行くしかないと思ってた。年に300回以上ライヴをやって、ようやく「今はもうだれも」(1975年)が初めてヒットした。やったねと思ったね”

谷村新司の作品の数々
谷村新司の作品の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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