ゴルフとピアノだけは、最初の3日間ですべてが決定される
ペブルビーチの14番は、右ドッグレッグの長いパー5である。彼方からやって来たジャック・レモンの姿が、初めてテレビカメラに納められた。アナウンサーのジム・マッケイは、ゲストのジョー・モンタナ(1980年代に活躍したアメリカンフットボールのスーパースター。NFL史上屈指のクオーターバック=編集部注)に向かって言った。
「いよいよ名優の登場です。これから彼は第2打に取り掛かります」
その声が、近くにいたカメラマンのモニターからレモンの耳に届いた。すると彼、近くのマイクに近づいて叫んだ。
「これから打とうとするとき、間違った報道はショットの邪魔になる。これは2打目ではない、6打目だ!」
ようやくホールアウトした瞬間、彼のアマチュア・パートナーだったジム・ガーナーが抱きついて言った。
「ジャック、きみは日々進歩したではないか。きのうまでの1ホール平均15打から、きょうは平均12打。1日で50打以上も縮めたなんて奇蹟としか言いようがない!」
ゴルフから足を洗おうと思っていた彼にとって、これ以上の励ましの言葉はなかった。
「ゴルフはデリケートなゲームだ。あのちっぽけなボールを打つには才能が要求される。しかし、平凡なダッファーにあるのは忍耐力だけ。だとしたら高望みなどしないで、ひたすら真面目に打ち進むしかない。ザ・クロスビーには1963年から連続出場しているが、私が学んだのはこうした哲学ばかり、決してショットのバラエティではなかった」
偉大なるダッファー、ジャック・レモンは、1975年ごろからゴルフ雑誌にも寄稿するようになった。上手な人にはわからない悲哀こそ、彼の独壇場である。たとえば哀愁漂う体験が次のように語られる。
「私のボールは、まだカップまで7メートルの距離にあった。いくら眺めても結果は同じだが、私にも多少の見栄がある。そこでキャディに尋ねた。
『これ、どっちに曲がる?』
すると彼、面倒くさそうに答えた。
『どっちに曲がっても同じさ』
彼にはダッファーがシングル以上に傷つきやすい人種だとは想像できないらしい」
あるいは、自らの悲惨な体験について、次のように述べている。
「ゴルフとピアノだけは、最初の3日間ですべてが決定される。これは事実だ。もし私が周囲の忠告に従って、あのときレッスンプロについたとしよう。まったく同じ時期に始めた俳優のジョージ・マーシャルが週に3回、立派なプロについて1年間も学び、2年後にハンディが14になった事実が私の言葉を証明する。自己流で始めた者は、結局のところレッスン書に依存して、いつまでも振り回されるしか道はないのだ。
ゴルフにおけるボタンの掛け違いは、人間関係以上にミスが増幅されて、ついに満足しないままゴルフ人生と決別しなければならない。第2のジャック・レモンにならないためにも、皆さん、最初の3回だけは正しい基本の習得に取り組むべきだ。すでに経験ばかり豊富だが、基礎からやってない人には、とりあえずメンツを捨てて、口やかましくないレッスンプロにつくよう、心から進言したい」
40年間、ついに彼は100の壁が越えられないダッファーで終わると書いているが、しかし、アマチュアの楽しみ方を教えてくれて誠に申し分ない教師である。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。