ほんの2メートルの距離で目が合った
三島由紀夫は45歳で、私は18歳であった。ということは、私はたぶん、生前の三島由紀夫と会った最年少の現役業界人だろうと思う。
出会いはこういうものであった。
私は高校生の時分からセッセと小説を書いては、あちこちの出版社に持ちこんでいた。こういう図々しさ身勝手さは、42歳の今も変わらない。
たまたま神田にある大手出版社の奇特な編集者が、私をたいそう可愛がってくれた。世の中の書物という書物を、すべて読みつくしているのではないかと思われるほどの、立派な方であった。その編集者が三島由紀夫の担当だったのである。で、「近いうちに三島先生のお宅に伺おう。紹介するから」という有難いお誘いをうけた。
欣喜雀躍である。あの三島由紀夫と会えるのだ。私は天にも昇る気持で、添削をしてもらったぶ厚い原稿の束を小脇に抱えたまま、夕まぐれの街をさまよい歩いた。何だか自分の未来が約束されたような気分だった。
そしてその帰途──偶然では説明のつかぬことが起こったのである。
ニタニタとしながら歩き呆けた私は、水道橋の交差点に立っていた。どこをどう歩いたものか、なぜそこにいたのかはわからない。
信号を待ちながら、ふとビルの半地下のガラス窓を覗きこむと、すぐ足元に三島由紀夫本人がいたのである。記憶によれば、思いがけずに小さな体の、そして異様なほど顔の大きい人物であった。
そこは後楽園のボディビル・ジムで、彼は長椅子に仰向いたまま、バーベルを持ち上げていた。路上から覗きこむ私とはほんの2メートルの距離で、私たちは確かに目が合った。
その一瞬の彼の表情を、私は克明に記憶している。ものすごくイヤな顔をしたのである。
彼はサッとバーベルを支柱に戻し、立ち上がってもういちど私を睨み上げ、スタスタと去ってしまった。そしてジムの隅で誰かと立ち話をしながら、こちらに目を向けて苦笑した。
後から思いついたことだが、そのとき私は返却された200枚の原稿の束を、むき出しのまま抱えていたのだった。おそらく彼は、彼の居場所を訪ねてやってきた青臭い文学少年だろうと勘違いしたにちがいないのである。
ほんの一瞬の出来事であった。私の言う「面識」とは、つまりこのことである。数ヵ月の後に(いや、数日後だったかもしれない)、三島由紀夫は死んだ。編集者との約束も、ついに果たされなかった。