日本中の心を掴んだ「悲劇のヒーロー」の思いがけない一言
それにしても、どうしてレース後の第一声が「こけちゃいました」だったのだろう。
「僕がこけた映像を、皆さんが見ているということを知らないわけですよ。だから『こけちゃいました』と説明して謝ったつもりだったんです。帰国したら取材陣がものすごくて、びっくりしました」(日刊スポーツ 2019年2月17日 「こけちゃいました」谷口浩美氏があのレース回想)
金メダルを逃したことの釈明だったというわけだ。「悲劇のヒーロー」の思いがけない一言は、人々の心を鷲づかみにし、一躍、流行語となる。それも谷口の朴訥な人柄と、潔いふるまいがあってのことだろう。日本の五輪史に残る名言だ。
こけなければ金メダル!? 谷口は仕掛けどころがわかっていた
バルセロナ五輪男子マラソンでの日本勢の結果を振り返っておくと、森下が韓国の黄永祚とモンジュイックの丘を登りきる40kmまでつばぜり合いを演じたものの、競技場前での下り坂を利用したスパートについていけず銀メダル。中山は3位と僅か2秒差の4位。そして谷口はアクシデントがありながら8位に食い込んだ。
男子マラソンでの出場3選手揃っての入賞は、この五輪の日本のほか、1980年モスクワ五輪のソ連(3位、4位、5位)、2008年北京五輪のエチオピア(3位、4位、7位)しかない。黄金時代のピークを迎えていた、日本マラソン界の層の厚さを世界に示すレースとなった。